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池上俊一『図説 騎士の世界』感想レビュー [ヨーロッパ史]

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ふくろうの本は、ページ数が少ない割に内容は詰まっているものが多いように思いますが、これも内容の濃い本でした。


騎士とは何か?というのは簡単な問いではありません。その言葉の指すところが流動的だからです。カロリング朝時代から既に騎兵は存在していますが、彼らはあくまで軍事的なカテゴリーに過ぎず、騎士道のようなものを持っていたわけではありません。10世紀の末頃からようやく騎士と呼ばれる存在が現れてきますが、彼らは自由民ではあっても貴族ではありません。最初の騎士は城主や豪族に臣従しているか家臣であり、兵士であったわけです。彼らの多くは土地を持たないか、わずかな土地しか持っていませんでした。立場としては貴族の下に位置します。


しかし、ヘースティングスの戦いで騎馬が歩兵に対して優位であることが確認されると騎士の活躍の場は広がり、身分が上昇するものも出てきます。貴族は自分の娘は会の身分の者と結婚させることを嫌がらなかったので、騎士が貴族の娘との婚姻を通じて貴族に上昇することもできたのです。もともとは城付騎士だったものが受封したり相続したりして所領を得て、独立した領主となるケースも出てきます。こうして貴族と騎士の概念が接近していきました。


そして1世紀半ばころから騎士生活の出費がかさむようになると騎士とは帰属の上位のものとみなされるようになり、本来騎士と称していた城の兵士たちは騎士とは言われなくなっていきます。この頃には資金不足から騎士になれないものは「楯持ち」として生涯を過ごすようになり、やがてそれすらも叙任を待つ貴族の立場となっていき土地を持たない本来の「騎士」は楯持ちの地位さえ失ってしまうことになりました。かつて自由農民や職人が蓄えたお金で武装し軍事奉仕で騎士になることもできましたが、すでに騎士は下層からの参入を許さない排他的な階級となってしまったのです。13世紀ころにはすでに他の階級のものが騎士になることはできなくなっていました。


よく知られているように、リチャード1世が騎士のモデルと言われることがあります。この時代では既に王侯までもが騎士と称するようになっていたのです。十字軍を通じて、もともとは私闘(フェーデ)を繰り返し司教領土を荒らすこともあった騎士が神の戦士と位置づけられ、崇高な存在へと変わっていったからです。


こうして見ていくと、下層階級からの参入も可能であったという点など、武士と騎士との共通点を見ることもできます。百姓でも戦場で功績を立てて武士になるものも存在しましたし、高坂弾正などもそのような人物だったようです。一番異なるのは弓の扱いでしょう。日本では弓も武士の嗜みの一つですが、騎士の場合は弓は卑怯な武器だと考えられていました。ただしそうは言っても飛び道具は戦場では不可欠で、やがて百年戦争ではクレシーの戦いにおいてフランスの騎士はイングランドの長弓兵に大敗することになります。この戦いは騎士の没落の象徴のようなものです。


この本の特徴として、騎士には欠かせない馬についてもページが割かれているところです。軍馬として人気があったのはアラゴン・カスティリア・ガスコーニュ産の馬で、シャンパーニュやパリ・ルーアンなどの馬の国際市場では君主や領主の密使が良い馬を買いに来たそうです。イタリアではノルマン人がシチリアの征服に成功したため、ベルベル人やアラブ人から種馬を入手できるようになったことも書いてあります。修道院や大司教も馬の飼育場を持っており、どこの国でも馬の飼育に熱心であったことがわかります。


全体として読みやすく良い本だと思いますが、騎士と帰属についての考察はなかなかに本格的で、シャテルニー(城主領)といった専門用語も出てきたりするので中世ヨーロッパを全く知らないと厳しい部分もあるかもしれません。



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