So-net無料ブログ作成
検索選択

英雄たちの選択「ルールを破れ!戦国ベンチャー~北条早雲 下剋上成功の秘密~」 [戦国時代]

スポンサードリンク




再放送で見ましたが、今回は戦国大名の先駆けとなった北条早雲でした。かつては一回の素浪人から成り上がったと考えられていた早雲ですが、番組では室町幕府で足利義尚の申次衆を勤めていたという説を採用していました。現代で言えば高級官僚です。早雲はエリート街道を歩んでいたのです。若い頃の早雲は建仁寺や大徳寺で善を学んでいますが、この頃寺にあった兵法書も読んで後に守護大名に軍師として仕えることも考えていたのではないかという小和田さんの指摘もありました。


今回の選択は足利茶々丸が異母弟の潤童子と円満院を殺害して伊豆が混乱に陥ったところで伊豆に討ち入るか静観するか?というところでした。今回磯田さんは呉座勇一さんと同じで静観する方を選択しています。堀越公方の背後にある関東管領上杉氏の強大な勢力に対抗し得ないと考えたためです。今川家の兵を借りたとしても、上杉の兵に対抗するにはとても足りないと磯田さんは見ていました。


伊豆に入った早雲は百姓や侍に所領を安堵すると約束し、当時流行っていた病気看護をさせたので皆早雲の善政に感謝しました。早雲は伊豆国内の職人にも土地を与えて優遇しており、在地の勢力をしっかり掌握する早雲の性格が見て取れます。これらの行為は早雲が優しいというよりは合理的な計算で行ったことだと中野さんは見ており、磯田さんも早雲は民に優しい反面、抵抗する者は女子供も含めて皆殺しにするなど残酷な面もあったことを指摘しています。年貢を四公六民と安くして検地を行い村の境界争いをなくすなど早雲の民政には画期的なものがありましたが、それもそのほうが政治が安定するという合理的判断からだったのでしょう。明応の大地震と津波の被害者の救済も早雲が当たったとされていますが、これもすべて計算ずくの行為かもしれません。


早雲はむやみに領国を拡大するよりも、まず在地の勢力をしっかり取り込んで民政を安定させることを優先していることが早雲のその後の行動を見てもわかります。このように内政を充実させたため、北条家はその後100年にわたり存続しました。今後真田丸では秀吉による北条攻めが描かれることになるでしょうが、氏政から見れば秀吉などほんの成り上がりにしか見えなかったでしょう。


早雲の評判は死後まもない頃の人たちからしても決して悪いものではなく、「禄寿応穏」の印判も名ばかりではなかったでしょう。黒田基樹さんの『戦国大名』は北条氏を中心に書かれていますが、これは北条氏の史料が多く残されているからです。つまりそれだけ北条氏が内政に力を入れていた証拠であるとも言えそうです。


スポンサードリンク



nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この記事のトラックバックURL:

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。