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趣味の専門化について [三国志]

最近は近現代史の本も読んでいて、多少詳しくもなったせいかこの分野も楽しくなってきました。かと言ってここに深く踏み込んでいく気もあまりなく、やはり古代中国あたりを中心に探求していくほうがいいのかな、という感じが最近はしています。史記も最初読み始めた頃はそれほど面白くも思いませんでしたが、最近は人物のつながりもかなり見えてきました。これは三国志でも同様です。歴史というのは余りにも範囲の広い学問なので、ある程度ジャンルを絞らないととても探求できるものではないし、何事も深く突っ込んだほうが面白いものなので、あまりあちこちに浮気している場合ではないかな、という感覚が強くなっています。


歴史を探求する場合、できるだけ一次史料を読んだほうがいいと思っているのですが、古代中国という分野だとこれが比較的楽です。史記や漢書・後漢書や三国志はいずれも和訳が出ています。春秋左氏伝や論語や韓非子などの古典も多く日本語訳されていますし、古代史は史料もそう多くありません。少ない史料からあれこれと想像を働かせる楽しみもあります。古代史といえばローマ史やギリシア史も比較的一次史料の和訳が手に入りやすい分野です。以前は隋唐五代あたりの勉強もしていましたが、新唐書や旧唐書の和訳があるわけではないので、漢文をそれほど自在に読めるわけではない私にはちょっと厳しいものがあります。所詮は趣味に過ぎないので、あまりここで苦労する気もなく結局古代史に落ち着きそうです。


今までイスラム史やロシア史、中世ヨーロッパ史の本なども断片的に読みましたが、やはり数冊本を読んだレベルでは深い理解が得られるわけではないですし、何より自分で一次史料を読めないことにはそれぞれの本が正しい事を言っているのか自分で検証することもできません。モンゴル史なども面白いと思っていますが、私の語学力の問題であまり深く探求するのは厳しいかな、とも思っています。最も、本当に好きなら語学も学びたくなるでしょうから、その程度の熱意しかないとも言えますが。


趣味で歴史を学ぶなら史料を読むのはプロである歴史家に任せて我々は歴史家の書いた本だけ読むというのも手ですが、関心の深い分野だとどうしてもそれでは物足りず、自分で史料を読みたくなります。「その分野の史料を読むために語学を学びたくなる」かどうかでそのジャンルへの熱意を測れるかもしれません。戦国時代が本当に好きで学びたい人は古文書の読み方も勉強するでしょう。

三国志13の発売日は12月10日に決定 [三国志]

三国志13の発売日が2015年12月10日と決まったようです。ファミ通などの情報によると全武将プレイが可能になるとのことですが、これは三国志7・8と同様ですね。おそらく部下を連れて放浪したりすることもできるのでしょう。劉備は一時期やけを起こして呉巨を頼り蒼梧に落ち延びようとしていたこともあるので、可能ならそんなプレイを試してみたいとことです。


コーエーは三国無双に力を入れて以来、どうも本家の三国志シリーズの方は今一つな印象があります。日本のストラテジーが洋ゲーに比べて今ひとつはやらないのは無双でやりたいことが概ね実現できているからだという意見を聞いたことがありますが、無双は爽快感を得ることが目的のゲームなので、ストラテジーでやりたいことはまた違います。囲碁将棋のような楽しみがストラテジーに求められているものですが、これはCivが一番うまくやっているでしょう。信長の野望もそうですが、日本のストラテジーはキャラゲーの要素が強いので、武将萌えの人たちは無双に流れているのかもしれません。


今まで一番遊んだ三国志はⅣなのですが、これは「統率」という数字があり軍師系のキャラにも戦場で活躍する機会がありました。同士討のような計略も結構使い勝手が良かった記憶があります。知力の高い人物を戦略戦術で活躍させる機会が多いゲームになることを期待しています。


三国志9では異民族が強かったのですが、そろそろ鮮卑や南越・高句麗なども勢力としては使ってみたい気がします。邪馬台国は流石に無理でしょうが何らかの形で出して欲しいものです。三国志は未だに9の評判が良く、11・12の悪評をなんとか13で盛り返して欲しいものです。
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フン族は匈奴なのか?(2)匈奴の南北分裂と北匈奴の行方 [遊牧騎馬民族]

フン族は匈奴なのか?を考えるにあたり、まず匈奴の足取りについてまとめておきたい。

事は匈奴の南北分裂に始まる。王莽の新王朝がが前漢を滅ぼすと王莽は匈奴に対して高圧的な政策をとるが、これが刺激となり匈奴は連年中国に侵入し、その被害は武帝時代を上回るとも言われている。この時代が匈奴の最後の黄金時代であった。やがて単于の位を輿単于一族が独占していることに日逐王の比が反対して謀反を起こし、漢と協力して単于と戦うこととなる。呼韓邪単于を名乗った比に従う勢力は南匈奴となり、華北と内モンゴルをその勢力範囲とした。これに対し外モンゴルに位置するのが北匈奴で、ここに匈奴は南北に分裂することとなった。西暦48年の出来事である。

この後後漢に内府した南匈奴は次第に遊牧民としての面影をなくしていくのだが、ここで重要なのは北匈奴である。王莽時代に中国は西域を失っていたが、北匈奴は再び西域に進出し亀茲国を含む西域の北部を支配している。後漢は光武帝期の休息を経て再び西域進出を目指し、班超を西域に送り込む。班超は西域都護として31年間西域を北匈奴から防衛し、息子の班勇もまた西域都護として活躍した。この頃北匈奴は衰亡の一途をたどっており、87年には匈奴は鮮卑の攻撃を受け、89年には竇憲により主力部隊が撃破され24余万人が漢に投降している。91年には漢・南匈奴連合軍が北単于軍を金微山で破ったためついに北匈奴はモンゴル高原を捨て、イリ地方にまで敗走することとなった。イリ地方はかつて漢と同盟し匈奴を討った烏孫の住んでいた土地である。モンゴル高原には鮮卑が入り込み、匈奴はその本拠地を失うこととなった。

西方に移動した北匈奴は烏孫や西域諸国を従え、『後漢紀』には123年頃、北匈奴は蒲類と秦海の間に展開していたと記しているが、蒲類は天山山脈北部のバルクル・ノールであることは定説になっているが、秦海がどこかについては確定していない。秦とはローマのことなので秦海は素直に読めば黒海を指すことになるが、林俊雄は黒海では遠すぎるので西域のどこかの湖ではないかと推測している。秦海が黒海であれば早くも2世紀前半の時点で匈奴とローマとの接点が出てくることになるが、これは推測の域を出ない。この後北匈奴と漢とは車師国とその周辺をめぐり争い続けるが、151年に伊吾国を攻めた呼延王に後漢が軍を派遣すると呼延王は去っていった、という記事が後漢が記した北匈奴の最後の記録である。

この後、魏書の西域伝に北匈奴が登場する。魏書西域伝には北単于は金微山を越えて康居に逃れたと記しており、これが西域諸国に対する支配権を放棄した証拠とされる。これがキルギス草原への移住であり158年頃と考えられるが、シルクロードの交易の利権を失ったことは大きな痛手であったと考えられる。モンゴル高原の支配者はすでに匈奴から鮮卑に代わっていたが、鮮卑は英雄檀石槐の登場により急速に勢力を拡大し、166年には烏孫と境界を接するほどになった。烏孫はイリ地区に存在しているため、北匈奴は鮮卑の勢力拡大に押されてさらに西進し、シルダリヤ北岸あたりにまで移動したと考えられる。そして魏書西域伝には栗特国の王を匈奴が殺して支配するようになったとあり、この栗特国はかつての奄蔡であったという記述もあるが、この奄蔡とはカスピ海北岸に存在したサルマタイ系遊牧民のアオルソイに比定されている。この記事を信じるならば北匈奴はカスピ海の北岸にまで移動してきたことになるが、アオルソイが栗特と同じであると書かれていることで話がややこしくなる。栗特とはソグドのことであり、中央アジア南部の定住農耕民と遊牧民であるアオルソイが同じであるとは考えられない。いずれにせよ、これ以上は北匈奴の動静を史料で追うことはできない。
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フン族は匈奴なのか?(1)匈奴とフンの身体的特徴 [遊牧騎馬民族]

かつて漢文明の北辺にあり、中華世界を苦しめた遊牧民族・匈奴は一時期白登山の戦いにて劉邦を虜とするほどの強勢を誇り、武帝の匈奴征伐などで次第に衰微するもしばらく北方の雄として君臨した。しかし次第に鮮卑や烏桓などの台頭によりその力は衰え、三国時代には曹操に五部に分割される程度にまで落ちぶれてしまう。匈奴の一部は西へ落ち延び、これがやがてフン族と呼ばれローマを脅かす存在となったと言われているのだが、フン族が匈奴であるのかは未だに議論の分かれるところであり、はっきりとした結論は出ていない。

なぜ議論が分かれるかとういと、まず匈奴の身体的特徴が明らかでないということがある。故・陳舜臣氏が述べているように、史記や漢書には民族の身体的特徴が書かれていないのである。史記の匈奴列伝や大苑列伝などを見てみても、確かにその種の記述は全く見られない。匈奴の慣習や風俗については詳しく記述してあるのだが、その外貌については史記や漢書から窺い知ることができないのである。ローマ側の史料にはフン族の身体的特徴として「アッティラは背が低く、胸は広く、巨大な顔を持ち、眼は小さくて落ちくぼみ、髯は薄く、鼻は低く、顔色は黒ずんでいた」と書かれているが、これはフン族がモンゴル系の民族であることを示唆している。しかしそれがただちにフン族が匈奴であることを意味するわけではない。そもそも匈奴がモンゴル系かトルコ系かもはっきりしないし、一口にモンゴル系といったところでそれが匈奴とも限らないのである。匈奴は多くの部族の連合国家であり、その中に多くの民族を含んでいる。だからこそ外見的特徴を書けなかったのだと陳舜臣氏は言っている。

司馬遷の記述と比べてみると、フン族の記述は野蛮人そのもので悪魔のような残忍さと不潔さに満ち満ちている。おそらくはかなりの偏見が入り込んでいるものと思われる。司馬遷は匈奴について比較的冷静に記述しており、一見野蛮に見える匈奴の習慣もそれなりに理にかなったものであるということを中行説の口を借りて言わせている。匈奴もフン族もこれと対峙する側からすれば大いに脅威であったのだが、中国側の資料が比較的冷静であるのは匈奴と接触していた期間が長く、匈奴以前にも遊牧騎馬民と対峙してきた歴史があるのでその生態について詳しく知っていたからではないかと思う。特に戦国七雄私の内最も西方から興った秦などは自らが遊牧民だったのではないかとも言われる。ローマ側はケルト人やゲルマン人との接触はあるが、彼らは遊牧騎馬民ではない。ローマ側がフン族をエイリアンのように記しているのは、騎馬民族をあまり知らなかったからではないかと考えられる。この点、モンゴル人を悪魔のように恐れていたヨーロッパ側の態度とも共通するものがある。モンゴルは中華世界にとっても重大な脅威であったが、少なくとも漢人にとって彼等は未知の存在ではなかった。その差が史料に現れている。

匈奴の外見的特徴は、「晋書」の頃からようやく史書に現れる。匈奴のリーダーである劉渕は身長が2メートル近い長身で、劉渕の甥の劉曜は二メートルを超え体毛は長かったとされる。単于の家系は堂々たる体躯の持ち主だったようで、アッティラの描写とはまるで異なっている。劉渕は史記漢書を始め詩経から左氏伝に至るまで通じない漢籍はなかったと言われる教養人で、この頃には匈奴はすっかり漢化されていた。ローマに侵入したフン族とはかなり異なる。こうした東西での史料の描写の食い違いが匈奴=フン族と断定することをためらわせる。もちろんフン族が匈奴であったとしても、長城の南に移住し文明化された後漢代の匈奴と西走した匈奴とでは置かれていた環境が全く違うので異なっていても当然なのだが、外貌の描写の違いはやはり気になる。アッティラは劉渕とは別の家系なのだろうか。あるいは匈奴の下にいたモンゴル系の部族がかつて強勢を誇った匈奴の名を借りていたのかもしれない。
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[読書]井波律子「中国人物伝Ⅱ 反逆と反骨の精神」 [三国志]

ちくま三国志の役者の一人でもある井波律子さんの人物を中心とした中国史です。この巻は三国時代~南北朝時代を扱っているのですが、基本南朝の人物ばかりで北朝の人物は顔之推しか出てきません。南朝の貴族社会の中心人物を主に取り上げているのですね。



さて、三国志の部分についてですが、あまり通説と違った解釈や独自の見解などは見られません。諸葛亮は誠実な人物として、司馬懿は実に陰険な人物として描かれます。実際にそうだったのだから仕方ないでしょうが、もう少し一般に知られている人物像とは違う一面を描いても良いような気はします。曹操と劉備や孫堅父子・孔融や陳林などの扱いもよく言えば無難、悪く言えばいつも通りといった感じです。なので三国志についてあまり知らない人が読む分には良いでしょうが、よく知っている人には物足りなさが感じられるかもしれません。東晋では王導や王敦・謝一族や陶淵明などが取り上げられていますが、読み物としては面白いですがこの時代の社会構造などがわかるようにはなっていません。



この時代を取り上げるならば私には前秦の苻堅などは外せないと思っているのですが言及はなく、淝水の戦いについても少ししか言及がなくそこが残念です。五胡十六国はややこしすぎるので触れなかったのかもしれませんが、苻堅はこの時代屈指の名君でもありますし書いて欲しかったんですけどね。文章は読みやすく一般的にはおすすめしやすい本だと思いますが、人選についてやや不満がなくもありません。魏晉何北朝については、この本をきっかけとして、南北朝時代を扱った他の本にも手を伸ばしてみたほうがよさそうです。



この本を読んでいて、もう三国志には全然心が動かなくなってしまったなあ…とずっと感じていました。それはこの本のせいではなくこちらの問題ですが。三国志をずっと追いかけている人は飽きないんでしょうか。私が基本浮気性で、あちこちに関心を移す性分だからというのもありますが、正直もう三国志はいいや、と思ってしまいました。最近はアレクサンドロスやローマ史・中世ヨーロッパ史などの本が多くなっています。三国志は結局内戦なので、多くの国家が登場するヨーロッパ史の方に最近は魅力を感じるのです。一部の保守派が言うように中国史は似たようなパターンの繰り返しだなどというのは間違いですし、それぞれの時代の特徴というものがあるのですが、三国志にはもう馴染みすぎたのでしょうね。今後しばらくは、よほどのことがない限り三国志関連の本を新たに買うことはないような気がします。


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織田信長とフィリッポス2世 [戦国時代]

織田信長とフィリッポス2世という人、なんとなく似ているのではないかと以前から思っていた。具体的には長槍部隊を率いて戦ったこと、兵農分離を進めたこと、最後は部下に暗殺されたこと、などである。両者とも政戦両略の強力な指導者であった。一番異なっているのは後継者だろうか。アレクサンドロスがフィリッポスの作り上げた土台の上に大征服を成し遂げた天才であったのに対し、信長の息子達はいずれも秀吉に対抗し得なかった。

だが、フィリッポス2世の革新性が現在も揺らがないのに対し、信長が「革命家」的な人物であったことは近年かなり疑問符が付いている。神田千里『織田信長』で書かれているように、実際には信長は室町幕府の権威を重んじており、本願寺との戦争も3度も講和を結んでいるなど、決して破天荒で非常識な人物ではなかった。将軍足利義昭との関係においてもむしろ義昭の方が強気に出ている面もあり、必ずしも信長の傀儡だったわけではない。それどころか、信長に天下統一の野心があったかどうかすら疑われている。従来の信長像は大きな修正を迫られているのだ。

この流れの一つとして、信長が推進したという「兵農分離」も、実際にそうであったかという検証が進んでいる。気鋭の歴史家・平山優氏の『検証 長篠合戦』によると、信長の軍隊が兵農分離した軍隊であったことは未だに証明されていないのだという。その証拠であると言われる安土城への集住についても、あくまで主君である信長の警護を目的としたものに過ぎないようだ。逆に、信長に比べ旧式の軍隊であったとされる武田氏においても信虎の時代から家臣の城下集住が見られ、上級家臣になるほど直接農業経営には携わっていない傾向がある。これを「兵農分離」と呼ぶならば、織田も武田もあまり兵制の差などないということになる。

旧来の権威を重んじ、天下統一の野心を持っていたかも疑わしく、兵農分離を進めていた証拠もないとなると、信長の先進性とは何なのだろうか。谷口克広『信長の政略』では、信長が初期の戦いにおいて三間半の長槍を用いて戦い成果を上げたことが記述されている。毛利との海戦で何かと強調される「鉄甲船」も信長の用いた新兵器の一つだ。こうした点は革新的とまではいかなくても、進取の気性に富む信長の一面として評価することは可能だろう。なお、信長の戦術の最大の特徴であると考えられている鉄砲の有効活用については、長篠合戦において最大の効果が発揮されたと見られているが、平山優『検証 長篠合戦』によると、武田氏も川中島合戦において鉄砲衆を組織しており決して鉄砲を軽んじていたわけではないが、物流上の問題から弾丸が不足しており、これが長篠合戦における武田勝頼の敗因の一つとなったようだ。この点においても信長は特に革新的だったわけではない。信長が武田氏に優っていたのは鉄砲を大量に用いることのできる物流体制を築いていたことなのである。

もし鉄砲が普及する前の世界なら、信長の三間半の長槍隊が戦場を支配することとなっただろうか。フィリッポス2世の作り上げたマケドニア式ファランクスも従来の3m程度の槍を5m程度にまで長くした長槍部隊である。フィリッポス2世は農業から離れた専門の戦士も育成し「兵農分離」を成し遂げている。この点は信長よりも進んでいる。長槍部隊を率いる信長は日本のフィリッポスになれただろうか?マケドニア式ファランクスは騎馬隊の補佐が必要だが、戦国日本に騎馬隊は存在したのか。武田の騎馬隊など存在しなかったという説が近年定着しつつあるが、これについては平山優氏が武田の騎馬隊が存在していた可能性を提示している。現在の常識は将来の非常識だ。歴史は生き物なのである。

現代の戦国研究では、「信長は特別な人物ではない」という方向に針が振れている。おそらくこの流れはしばらく続くのではないかと思う。池宮彰一郎が『本能寺』で描いたような、多くの人が信長に求めている人物像とは真逆の方向性である。この流れがいつかまた逆転する日は来るだろうか。個人的には織田信長はフィリッポス2世並みの革新性を期待したいところだが、歴史的事実の前には謙虚にならなくてはいけない。
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[読書]『倭国伝 中国正史に書かれた日本』 [三国志]

これはなかなかお得な本です。1450円と安くはないのですが、この1冊で中国の史料に書かれた日本の記述がまとめて読めるのです。邪馬台国論争には欠かせない魏志倭人伝から隋書倭国伝、旧唐書や新唐書・元史や明史の日本伝を読むことができます。それだけでなく三国志には高句麗や朝鮮・隋書には琉球伝まで載っているので周辺国の様子もわかります。古代史だけでなく、中国から見た日本の姿について知りたい人には重宝する1冊でしょう。


なんといってもインパクトがあるのは日本の戦国時代について触れている明史日本伝です。この中では、秀吉は薩摩の奴隷出身ということになっていて、木の下で信長と出会ったので木下人と名乗ったなどと書かれています。後に摂津の鎮守大将になったとも書かれていますが、これは荒木村重の間違いではないでしょうか?しかも信長の参謀の阿奇支(あけち)の討伐に秀吉を命じると、その間に明智が反乱を起こしたので秀吉は引き返してこれを誅殺した、などとも書かれているのです。明智光秀らしき人物が二人もいますが阿奇支って誰なのでしょうか。どうもかなりいい加減に書かれているとしか思えません。


明史のこの文章は岡田英弘さんがよく引用していて、「明の時代ですら日本の情報は間違いだらけなのに、これより1000年以上も古い倭人伝の内容がどれだけ信用できるのか」と言っています。明史の内容については、私達は同時代の日本史を知っているのでおかしいことがすぐに分かりますが、倭人伝にはほかに比較する史料がありません。倭人伝の内容が間違っていたり、嘘を書いていたりしても、それを証明する手段がないのです。倭人伝の記述を元に邪馬台国の位置や実像を探るという作業がどれだけ心もとないかよくわかります。邪馬台国に関しては、考古学の成果を無視した論考はもう相手にするべきではないでしょう。


個人的に面白かったのは三国志の挹婁伝です。この民族は後に靺鞨や女真と呼ばれる民族なのですが、この伝の中では豚を飼っているとか貂皮を産出するとか書かれていて、この点は後の女真と変わりません。民族のあり方は住んでいる土地が変わらないとそんなに変わらないもののようです。もっともこの時点ではこの中国東北の少数民族が中国を征服するまでに成長することなど、誰も予想していなかったでしょうが。
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[読書]梅原大吾『勝ち続ける意志力』 [心理]

この本の感想を書こうと思ってアマゾンのレビュー欄を見ていたら、教育関係者と思われる方から「この本は教育的に見ても面白い一冊だと、個人的には思う」というコメントが付いていました。このコメント自体に嘘はないのでしょうが、これはあくまでウメハラさんが現在プロゲーマーとして活躍できていて、その仕事で食べていくことができているからこその評価ではないでしょうか。今でこそ日本にもプロゲーマーが梅原さんの他にも何人も存在しているのですが、ウメハラさんが腕を磨くためにゲームセンターに通っていた頃にはプロゲーマーなどという職業はなく、いくらゲームが強かったところで大人は評価してくれないのです。教師などというのはむしろゲームセンターに通い詰める少年を好ましくないと思う側の人間のはずです。そういう人でも本が出せればゲーマーの話を聞いてくれるのは良いことなのだろうけど、それはあくまで書籍を出すことができた「権威」だからではないか、ただゲームを頑張っているだけの無名の少年の話に耳を傾けてくれる教師がどれだけいるのか、と思うとなんだか複雑な気持ちになってしまうのでした。


去年、ユーチューバーの「好きなことで、生きていく」というフレーズが話題となりました。もちろんウメハラさんも子供の頃からゲームが好きで、一心に打ち込んできたのですが、いくら格闘ゲームを極めても、その先に何らかの職業につながることはないのです。これがサッカーや音楽や絵なら、狭き門とは言えその先にプロになるというルートは存在しています。しかし、ゲームがいくら強くなったところで、その世界で有名になるというだけのことで、プロとして生きていく道が世界チャンピョンとなった少年ウメハラの前には開けていなかったのです。


それは誰にでもわかっていることなのだから、普通ならゲームは趣味にとどめておいて、生きていく方法は別に確保すればよいと考えるはずです。しかし少年ウメハラは、そんな割り切った生き方のできる性格ではありませんでした。いつもつるんでいた落ちこぼれの友人たちが、突然皆受験勉強を始めたのです。


『「なんだよ、お前ら。もっとふざけろよ、ふざけ続けろよ!」
理不尽な怒りだと分かっていても、溢れる感情を押しとどめることができなかった。
苛立つ僕をよそに、友達は次第に「受験」という共通項を持った別の輪を作るようになった。気がつくと、またひとりになっていた』
ここから少年ウメハラの躍進が始まります。自分には勉強もスポーツもない。どうせゲームしか残っていないのだから、そこで誰よりも頑張って、皆が驚くような結果を残してやると決意し、中学生にして世界一の称号を手に入れるのです。しかしその先の道のりもまた平坦ではありません。プロゲーマーという職業が確立していなかったので、麻雀の修行をしたり、介護施設で働いている時期もありました。そしてスポンサー契約をもらい、プロゲーマーとなって今に至るわけですが、これには幸運も働いていると思います。


この本を読んでいて、ゲームの世界で生きられるようになったウメハラさんの成功については素晴らしいことだと思うのですが、同時にまた、多くの世界には無名のウメハラが存在するのではないか、とも思いました。プロゲーマーの世界が脚光を浴びることでウメハラさんにも光が当たっているのですが、光の当たらない世界にもいくらでも名人が存在するはずです。ウメハラさんは将来ゲームが脚光を浴びるだろうと考えてゲームに打ち込んだのではなく、それしか打ち込める対象がなかったのですが、幸運もあってその努力がプロゲーマーになるという形で報われることになりました。しかしウメハラさん同様に頑張っていても、なかなか陽の目を見ることのない世界もあるはずです。だから世間的に見て成功しているかどうかではなく、内面的な基準を持つことが大事なのでしょうね。『勝負論』でもウメハラさんは「成長することが大事」とくり返し書いていましたが、それはこの本でも同じです。自分の内的基準において成功していれば、たとえゲームの世界が脚光を浴びていなくても、十分に幸せなのではないでしょうか。


ウメハラさんがこうして本を出せたことは素晴らしいと思うのですが、彼の価値がそこにあるのではありません。苦しんだ末に独自の哲学を持ち、その基準に沿って努力を続けていることが素晴らしいのです。ウメハラさん自身、「本当に大切なのは、成功したかどうかではない。そこから偶然の要素を外したあとで残った部分で、成長を感じ続けられるかどうかなのだ」と言っています。しかしウメハラさんのこの言葉を共感を持って受け止めることができるのも、実際に結果を出しているからなんですよね。結果にこだわるな、成功するかどうかは問題ではない、という言葉も成功している人の言葉だからこそ受け入れることができる、という逆説は如何ともしがたいところです。全く無名な人が同じ事を言っていても、「いや、それはそうやって自分を誤魔化してるだけでしょ?」となってしまいますから。外的な成功で自分の価値を決めるところから逃れられるのは、やはりある程度の成功を収めた人でないと難しいのだろうか…?梅原さんが言いたいのはそんなことではないと思いますが、やはり結果への執着を経つのは難しいなあ…と思わされたのでした。

[読書]坂口和澄『もう一つの「三国志」異民族との戦い』 [三国志]

中国史を読んでいても匈奴や高句麗など周辺国の動向が気になってしまう私のような人にとって、これはとても面白い本でした。漢の武帝時代の匈奴のような強大な異民族が三国時代には存在しないように見えますが、なかなかどうしてこの時代でも周辺の民族の存在はかなり大きく、魏・呉・蜀三国ともに異民族に苦しめられたり、あるいはその存在を利用したりしています。この時代には匈奴はすでに衰えていましたが変わって台頭してきた鮮卑や烏桓、西方の遊牧民である?・羌、呉の南方にいてしばしば呉を苦しめた山越などがこの本の主役となります。


なぜここまで異民族の存在が重要かというと、岡田英弘さんの本などで書かれているように、三国時代には飢饉や戦乱などにより、人口が大幅に減っていたため、兵力として異民族を組み込む必要があったからです。董卓の率いていた涼州兵は精強なことで有名ですが、この中には羌族の兵も含まれていました。鮮卑や烏桓もそうですが、異民族兵は厳しい環境で鍛えられており、贅沢も知らず戦闘経験が豊富なので頼りになるのです。そして、三国ともに異民族に働きかけ、敵国の背後を脅かすような外交政策を行っていました。曹操は山越をそそのかしていますし、孫権もまた高句麗と結んで魏の背後を脅かしています。演義では孔明の南蛮征伐くらいでしか出てこない異民族ですが、実は三国志の影の主役といってもいいくらい重要な存在だったのです。



この本では三国志の登場人物で異民族との関わりの深かった人物が列伝形式で紹介されており、その中には諸葛亮や郭嘉・陸遜のような有名人物から鐘離牧や軻比能のようなマイナーな人物までバランスよく取り上げられているので、三国志好きな人なら大いに楽しめる内容になっています。蜀の南蛮征伐についても多くのページが割かれており、諸葛亮が何を目指していたのか?についてもよくわかる内容となっています。


個人的に面白かったのは呉の辺境の様子です。呉書を読んでいると、ほとんどの武将が山越討伐に関わっていることがよくわかるのですが、その呉の武将の中でも諸葛恪がもっとも活躍しているのは意外でした。どうもこの人は口先だけの人というイメージが強いのですが、実際にかなりの功績があったのですね。こうした演義とのイメージの違いについても確認できるのが面白いところです。
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[読書]小池龍之介「"ありのまま"の自分に気づく」 [心理]

この本で扱われているのは主に「承認」の問題です。私たちの悩みの多くは、肉体的苦痛や経済的問題などを除けば「他者に受け入れられない」「受け入れられても、思ったような受け入れられ方ではない」というところに行き着きます。人間は皆承認欲求を持っていて、ありのままの自分ではなかなか肯定されないので、多かれ少なかれ受け入れられるような人間像を演じながら生きています。しかしこれが苦しみの原因となり、自分を解放したいという欲求も生まれてきます。アナ雪の大ヒットはそうした人達の欲求を汲み取っていたからということもあるのでしょう。

多くの人は人から認められたいと願い、そのために努力を重ねます。成功して名声を得たいとか、異性にもてたいとか言うのも結局承認欲求で、他者からの承認の度合いが足りないと多くの人が思っているからこそ悩むのです。しかし、努力を重ねて幸運にも成功し、あるいは愛される人間になったとして、それで十分なのでしょうか。小池さんは「自分そのものを褒めてもらうことはできない」と本書で断言しています。成功している人はお金を持っているから持ち上げられるのであり、もてる人は容姿やコミュニケーション能力が優れているから受け入れられる。どちらにしても条件付きの承認であって、それらの条件が失われてしまえばまた他者からの承認も失われてしまうのです。

では、他者からの承認などいらないと開き直って、ただ好きに生きればいいのでしょうか?事態はそんなに簡単ではありません。小池さんが言うように「自己承認は成り立たない」からです。自分でいくら自分のことを褒めてみても、それはそう思い込もうとしているだけのことであり、根拠としては弱いのです。だからこそ他者からの承認を私たちは求めるのであり、そのために悩むのです。どうしたって結局承認されないと満足できないのなら、私達はどうすればいいのでしょうか。ここで小池さんが出してくる処方箋は「精神自給率50%を目指す」ということです。

小池さんの主張する「精神自給率」を上げるとは、他者からの承認によって自分を支える度合いを下げていく、ということです。社会的に良いと評価される自分になることで自信を持つのではなく、あくまで自分が自分であることで「良し」とする、その割合を50%くらいまでに高めればいいのだ、というのが「精神自給率50%を目指す」ということの意味です。この「精神自給率」が100%の状態になると、これが悟りを開いている状態なのかもしれません。しかし凡人である私たちがそこまで到達することは難しいので、せめて50%くらいを目指そうではないか、ということなのだと思います。

ではその「精神的自給率」を上げるために何をすればいいかというと、小池さんの提唱する方法は「自分の中の様々な気持ちに気づきの光を当てる」というものです。嬉しい気持ちや、孤立して寂しかったり他人を妬むような望ましくない感情に対しても、「ああ、今時分はこういう気持ちなんだな」とその感情に居場所を与える。こうして自分の感情を自分でケアすることで過度に他者に依存しなくてもよくなると小池さんは言います。もっとも、私達は禅僧ではないので常にこういう自己省察ができるわけではないので、そんなときは程よく他人に甘えさせてもらえば良いのだ、とも小池さんは言っています。仏教の知見を実生活に取り入れるためのバランスのとれた主張ではないかと思います。

昨日ウメハラさんの「勝負論」の感想でも書いたことですが、ウメハラさんは自分が成長できているかどうかに重きを置いていて、試合で勝つかどうかを最重要の目標にしていないそうです。これは「成長」という自分の内面的なことを自信の根拠にしているので、ウメハラさんも精神的自給率が高そうですね。やはり優れた結果を出している人のマインドのあり方というのは、どこか似通ってくるのかもしれません。もっともここで「ウメハラさんや小池さんは本が売れているのだからすごい、あんなふうになれるように努力しなければ」と考えすぎると自信の根拠が他者承認に移ってしまい、精神的自給率は下がってしまいます。私たちは放っておくとつい世間的に見て好ましいかどうかで自分の価値を決めてしまうので、この本に書いてあることを時折思い出すべきなのでしょうね。
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