So-net無料ブログ作成

[読書]平山優『山本勘助』 [戦国時代]

『風林火山』は今でも好きな大河ドラマの一つです。何が良いと言って、山本勘助が「戦のない平和な世を作る」みたいな現代人に寄せた台詞を一切言わないのです。勘助はあくまで戦国の世で成り上がりたい野心を持つ男として描かれ、市川亀治郎さん演じる信玄や千葉真一さん演じる板垣信方など脇を固めるキャラクターも魅力的で、上杉謙信役のGakctさんも当時大きな話題を呼びました。


さて、『風林火山』の主人公であった山本勘助なのですが、史料では甲陽軍艦の中にしかその名前が見えません。しかもこの甲陽軍艦という史料は春日虎綱(高坂昌信)が書いたということになっていますがその割に間違いが多く、近代歴史学の波に洗われて山本勘助の存在も消されそうになっていました。


この流れが変わったのが「市川文書」の発見です。昭和44年に発見されたこの文書は武田信玄のしたためた書状の中に「山本菅助」の名があることから大騒ぎとなり、これが山本勘助と同一人物ではないかという見方が出てきたのです。そのため甲陽軍艦の再評価も始まり、甲陽軍艦の中に甲斐・信濃の方言があることや、庶民の使う「げれつことば」が使われていることから後世の人間に書けるものではないことが明らかにされています。


では、結局山本勘助は実在したのか?については著者の平山さんは軍艦の登場人物の多くは史料で実在が確認される人物であり、その中において勘助だけが架空の人物であったと考えるのは不自然であるとし、実在していた可能性は十分にあると指摘しています。市川文書の山本菅助と山本勘助が同一人物だと証明されていないため実在していたと確定することはできないものの、完全に否定できる存在でもないというわけです。


現状がこうである以上、山本勘助という人物を探るには、まずは勘助の登場する唯一の史料である甲陽軍艦と真摯に向き合うことから始めなくてはなりません。平山さんは甲陽軍艦のみに依拠して、軍艦の中に勘助がどう描かれているのかを追っていきます。意外なことですが、軍艦に書かれている勘助は「軍師」ではありません。そもそも軍師という職制自体が戦国時代には存在しなかったので、軍師になりようがないのです。勘助が軍法に精通していたことから、後世にそういうイメージが定着していったようです。


勘助の最期にしても、よく「啄木鳥戦法が失敗したため責任を取って出陣し戦死した」などと言われるのですがこれも後世の創作で、軍艦にはあくまで戦死したと書かれてあるだけなのです。第四次川中島の戦いは信玄の弟・信繁も戦死するほどの激戦だったので勘助も巻き込まれただけかもしれません。この戦いでは信玄の本陣にいた真田昌幸の同僚も戦死するほどの戦いだったからです。


甲陽軍艦の中で勘助が語っている各国の気風も面白く、東国では意地のある者が10人中9人はいるが、西国ではそんな者は20人に1人くらいしかいないと語っています。歴史小説などでよく武田など東国の兵は強いが西国の兵は弱いという描写を見かけますが、このあたりも根拠になっているのかもしれません。


この本を書くにあたって、平山さんは勘助のような怪しい人物をテーマにするのはやめるように研究者仲間に言われたそうです。ですが、勘助に関しては怪しい伝説や後世の創作も含めた内容の書籍が多く出回っているのが現状で、甲陽軍艦のみに依った山本勘助を描く必要があると思うようになったとのことです。おそらく歴史上の人物について出回っている本の多くがそういう部分があるでしょうから、こうした本は貴重です。山本勘助の人物像や信玄との関係性について知りたい方にはぜひ読んで欲しい本です。
nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

英雄たちの選択スペシャル 両雄激突!会津vs長州 [英雄たちの選択]

今回は1時間半スペシャルでしたが、非常に見所の多い回でした。会津とい長州の藩の成り立ちから江戸中期の藩再興を経て、幕末の両藩の衝突に至るまで長い射程で追っていく内容でしたが、会津と長州は同じ日本でも藩風というか藩のDNAとでも言うべきものが全く異なっていて、両藩の幕末の運命は江戸初期からすでに決まっていたかのような印象を受けました。


毛利家は毛利輝元の代に関ヶ原で敗北したために大きく領地を削られてしまいますが、藩祖の輝元が戦国の生き残りであったためか、萩城は江戸の城郭としては珍しく山の上に建てられていました。そして重要なのが、財政難に陥ったため輝元の行った大規模なリストラです。武士ではなくなった者達は当然農民となるわけですが、武士は読み書きなど基本的な教養があり、このため長州藩は教育力が高く幕末に至るまで多くの寺子屋が存在していました。


対して会津の藩祖である保科正之は秀忠の子で、徳川に忠誠を尽くす家訓を残しています。これはある意味思考停止を招くような内容で(山本むつみさんはそうではないと言っていましたが)、よく言えば質実剛健な気風を育むものです。江戸中期の藩政改革でも会津藩は教育改革を行い忍耐強い精神を鍛える一方、長州藩では7代藩主毛利重就が撫育方という部署を作り、徹底した検地を行って増えた4万石を元手に米・紙・塩などの産業を育成し、港湾整備などにも力を入れ莫大な資金を手に入れていました。ここで手に入れた資金は特別会計に回され、幕末に外国から武器を調達するのに使っています。忠義一徹の会津に対して合理的な長州、という違いがあります。


磯田さんは会津を一言で表すと「忠」だと言っていました。実際に会津は最後まで幕府に忠節を誓い、西郷頼母の反対を押し切って京都守護職を引き受け最後には朝敵となってしまいます。どこまでも正直なため立ち回りが下手で、幕府に向けられた憎しみを全て引き受けてしまった会津の悲劇は2000発の銃弾を打ち込まれた会津若松城の写真にはっきりと表れています。


会津のDNAは士道としては非常に立派なものなのですが、「目上の者に逆らってはならない」など合理性には欠けるものがあり、この点が合理的な長州にはどうしても及ばなかった印象があります。会津は徳川250年の支配に最後の花を添えたという感じでしょうか。吉田松陰が剣術を習おうとした時、剣の師匠がお前は剣術には向いていないから学問に集中したほうがいいと言ったという話を聞いたことがありますが、こうした合理性は会津にはないものです。藩の成り立ちから関ヶ原の負け組であり、倒幕に強いモチベーションを持つ長州と藩屏としての強い自覚を持つ会津は正反対の存在であり、この二藩が幕末の政治の流れを決定づけたのも歴史の必然ではないかと思いました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:テレビ

[読書]佐藤憲一『素顔の伊達政宗 「筆まめ」戦国大名の生き様』 [戦国時代]

戦国大名の手紙は家臣が代筆することが多いものですが、伊達政宗という人は直筆で手紙を書いた人で、膨大な手紙が現代まで残っています。この政宗の手紙を通じて政宗の人物像に迫るのが本書です。


内容としては政宗の残した書簡を通じて政宗の生涯をたどり、また家臣との関係や文化人としての政宗の姿も描写しています。政宗が誕生してから南奥州の覇者となり秀吉の臣下となり、そして仙台藩62万石を築くまで余すところなく書いているので政宗入門書としても使えます。しかも通り一遍な政宗像を描くだけでなく、手紙を通じてかなり深いところまで踏み込んでいます。例えば、政宗の母義姫による政宗暗殺未遂についても独自の見解が示されています。


本書によると、大悲願寺という寺院に政宗の書簡が伝えられており、この寺の住職であった法印秀雄という人物は、実は政宗の弟であったと伝えられているのです。義姫が政宗暗殺に失敗し出奔した後政宗は弟の小次郎を手討ちにしたということになっていますが、秀雄が小次郎であるならば小次郎は生きていたことになります。


政宗はこの暗殺未遂事件後も義姫との手紙のやりとりを行っていて、母に小袖を送るなど仲睦まじい様子が手紙から感じ取ることができます。一時は自分を殺そうとした母親とこのようなやり取りをするのはあまりにも不自然です。著者は小次郎殺害は伊達家の一本化を図るために母と政宗の共謀だったのではないかと推理しています。この事件は小田原で秀吉と謁見するすぐ前のことであったため、政宗が殺されるかもしれなかったので小次郎を密かに逃がしたのかもしれません。


義姫という人は賢い人で、関ヶ原の戦いで伊達氏が上杉氏と対峙している時には敵情を知らせる手紙を前線に送るなど、自ら武将のような活躍をしています。こういう人がいくら小次郎を溺愛していたとはいえ、政宗を殺して家中に混乱を招くとは考えにくいことです。佐藤さんの推理が正しいとは限りませんが、政宗暗殺未遂の真相については今後もなお検討が必要なのではないかと思います。


「文化人としての政宗」の章では、政宗が自筆の手紙にこだわった理由として、それが最高の礼儀だと考えていたからだという見解も示されています。自筆で手紙をかけなかったことを詫びる文書すら存在しているほどなので、よほど自筆にこだわっていたことは間違いありません。コミュニケーションを大切にしていた政宗は豪放な反面、非常に繊細な一面を併せ持った人だったようです。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

戦姫絶唱シンフォギアGX3話「装者たちの黄昏」感想メモ [戦姫絶唱シンフォギアGX]

アルカノイズにより天羽々斬とイチイバルは分解されてしまいました。
ファラは何故かそれ以上攻撃することもなく引き上げてしまいます。
一方、レイの前には切歌&調が立ちはだかりアルカノイズを一掃しますが、レイには逃げられてしまいます。


変身の時のセリフは声優がアドリブで決めていると戦姫絶笑ラジオで水樹奈々さんが語っていました。


リンカーがなく適合係数が低い状態で戦っている切歌&調にはバックファイアが生じ、その身体には大きな負担がかかっていました。

s2.jpg
今回はミュージカルも入ってましたが…

s3.jpg
翼&マリアは日本に戻ってきましたが、聖遺物のかけらは残っていてもエネルギーをプロテクターとして固着させる機能が損なわれていると説明を受けます。櫻井了子でなければこれは修復不可能だと説明を受け、現状では動ける装者は響だけになってしまいました。

s4.jpg
エルフナインはキャロルの命令で世界を解剖する装置の建設に関わっていました。この目的を阻止するためにエルフナインはドヴェルグ・ダインの遺産である魔剣・ダインスレイフの欠片を持ってきたのです。キャロルの本拠地であるチフォージュ・シャトーは錬金術の力で世界を解剖する力を持ち、完成間近であるとエルフナインは説明しました。
s5.jpg


響は人助けの力で誰かを傷つけるのは嫌だと言っていますが、マリアに「それは力を持つ者の傲慢だ」と言われてしまいます。シンフォギアGではノイズで人を死なせないようにしていたマリアですが、その甘さが身にしみているからこそ出てきた言葉です。今の響はかつてのマリアと同じ立場に立たされています。

s6.jpg

戦いたくない思いが強すぎるのか、ガリィの呼び出したアルカノイズを前にして響は聖詠が浮かばなくなってしまいました。戦える装者は誰もいなくなってしまうのか…?
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

[読書]ウィリアム・H・マクニール『世界史』 [世界史]

歴史の書き方として、まずは「人」に主眼を置く書き方があります。専門の学術書からビジネス書の体裁をとる本に至るまで、まず歴史は人が創るものだ、という認識があり、これが一面の真実でもあるので歴史上の人物をテーマとした本は今でも数多く出版されています。


しかし、こと世界史のような巨大なテーマを扱う場合、「人」だけでは到底その全体を描写しきれないのも事実です。歴史は英雄だけが紡いでいくものではなく、歴史上の人物もまたマクロな状況に巻き込まれて生きているわけです。では、「人」を中心に置かない場合、何を主人公に据えるべきか?マクニールは『世界史』におおいて主人公を自然環境や資源・技術にしました。この本においては人物は脇に追いやられ、史上の英雄も必要最低限しか出てきません。


こういう歴史の見方は、ストラテジーゲームの世界では「シヴィライゼーション」に近いものです。重要な資源を獲得し、技術を進歩させて強力な軍隊を作り、国力を増加させていくCivの世界は資源と技術が何よりも重要で、さらに言えば重要な資源が得られるような立地こそが最も重要なのです。ここにあるのはヘロドトスや司馬遷の書くような「物語的歴史」とは全く対照的な、ドライな世界観です。中央ユーラシアの遊牧民族が強いのは馬という重要資源を握っているからですし、ヨーロッパで封建制度が発達したのも騎乗して鎧と槍で武装した騎士が一定数入れば割拠することが可能だったから、という風に「なぜこうなったのか」が資源や技術の裏付けによってきちんと説明されます。


膨大な史実の中から必要なことだけを抜き出し丁寧に因果でつないでいくのはまさにプロの仕事だと思いますが、かといってこれが世界史の入門書としてふさわしいのか?となると疑問の残る点もあります。やはり人物に関する記述が他の世界史の本に比べて少ないですし、それだけ物語的な面白さは削がれてしまっているからです。そうした面白さも初学者には重要で、歴史を学ぶ重要な原動力になるからです。対策としては、人物重視の世界史の入門書と併読するのが良いかもしれません。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

[読書]山本弘『詩羽のいる街』 [その他読書]

この現代日本で、お金を持たずに生活していくにはどうすればいいか?例えば宗教家のような生活が考えられます。『ムトゥ踊るマハラジャ』には樹の下で生活している聖者が出てきますが、聖者は徳が高いので何一つ持たなくとも信者からの施しで生きていくことができます。武者小路実篤『真理先生』もまた、そうした周囲の人々の好意によって生活を成り立たせている存在でした。


この生き方を現代風に成り立たせているのがこの物語の主人公・詩羽です。詩羽は周囲の人達に親切にすることで食事も寝る場所も服も確保していて、自分では何も持っていません。様々な個性を持つ人を詩羽という個性が結びつけることで詩羽の住む賀来野市の住民が皆幸せになっていくという「詩羽システム」を成立させることで詩羽の生活が成り立っていて、詩羽自身は市民の触媒のような存在として生きています。


こういう人が一人くらいいても面白いかもな、と思うのですが、この生き方を貫くには他人が何を求めているのか見抜く高い能力が必要で、しかも自分自身は物欲も所有欲もない人間でなくてはなりません。実際、この物語では詩羽は非常に頭が良く、会話も巧みで人に喜んでもらえることを生きがいとしているキャラクターとして造形されているのですが、これはいわば現代の「聖者」でしょう。


しかし詩羽には歴史上の聖者とは違う、ある種の生々しさがあります。詩羽は自分の作り上げた親切のシステムに巻き込むために登場人物を「デート」に誘うのですが、ここでは詩羽が若い女性であるという強みを生かしています。詩羽自身も「この仕事をしていると恋愛ができなくなるのが淋しい」と言っていて、人並みの欲求を持っている一面も垣間見ることができます。俗人としての一面も見せることで、詩羽のシステムを胡散臭い新興宗教と区別することに成功しています。


難点があるとすれば、時として登場人物の中に山本さんの主張が強く出てきすぎるところです。作品中である漫画をあれは説教臭い、作者の生の声が出すぎてると批判するところがありますが、この作品にもそういうところがあります。私は山本さんのブログや他の作品などで山本さんの考えをよく知っているので特に違和感は感じませんでしたが、これを最初に読む人はアニメや漫画、表現規制やネットデマについて登場人物がしゃべることに違和感を感じることもあるかもしれません。


そのような瑕疵はありつつも、全体としては楽しく読める物語になっていると思います。作中で多くの本が紹介されていて、巻末にノンフィクションや小説・漫画などジャンル別に参考資料として紹介されているのも嬉しいところ。クラークの小説は中学生でも読める内容だと作中で紹介されていたので、今後読んでみようかと思いました。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

[読書]『真田三代 幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る』 [戦国時代]

2016年大河ドラマ「真田丸」に備えて何かいい参考文献はないか探しているのですが、まずは武田家の研究者といえばこの方、ということで平山優さんの『真田三代』を買ってみました。平山さんには武田勝頼が滅びたあとの信州をめぐる争いである『天正壬午の乱』を扱った著書もあり、真田氏についての手堅い知見を得たいならまずはここは読まなければいけないのではないかと思いました。


タイトルが『真田三代』なので真田幸村(信繁)の祖父である真田幸綱から解説してあります。一般には「真田幸隆」の名で知られている幸綱ですが、実はこれは出家していた時の名で「こうりゅう」と読むのだそうで、戦国武将としての名は幸綱となります。この幸綱が信玄に使えて村上義清の調略などで活躍した後、幸綱の次男である昌幸も信玄に仕えるようになります。甲陽軍艦によると昌幸の初陣は最も激戦だった第4次川中島の戦いで、奥近習として信玄の本陣を守っていたそうです。昌幸の活躍は伝えられていませんが、本陣を守って戦死した同僚もいるので昌幸も危ない場面があったかもしれません。


信玄の側近として信玄の兵法を体得したであろう昌幸は優秀な武将に成長し、三増峠の戦いで馬場信春の部隊に派遣され一番槍の功績を挙げたこともあります。武田家が無事ならば重臣に納まっていたはずの昌幸ですが、勝頼が滅びたことで戦国大名として自立することになります。武田家が滅亡して権力の空白地帯となった信州は北条・徳川・上杉ら有力大名の草刈り場となってしまいました。ここで昌幸は北条・上杉・徳川家と従属先を次々と変えながらこの厳しい状況を生き抜き、上田城も築城しました。上田城は上杉軍を目の前に徳川の力を借りて作った城で、極めて危険な状況で建設されました。


この「天正壬午の乱」の経緯は複雑なので省略しますが、昌幸は調略や外交の力を存分に発揮してうまく立ち回っています。歴史家の磯田道史さんが伊達政宗のことを「高級幕の内弁当」と評したことがあり、これは戦争や政治・外交など多くの能力が政宗という一個人の中に宿っているという意味ですが、真田昌幸もまさにこういう人物でした。惜しいのは昌幸は政宗のように最初から大名ではなかったことです。弱小勢力であったためにこすっ辛い立ち回りを迫られ秀吉に「表裏比興の者」と呼ばれた昌幸ですが、弱小勢力が信義など守っていたら滅びてしまうだけです。真田幸村の働きは有名ですが、武田家滅亡後の昌幸の動きについてはあまり知られていないので、この部分を知るだけでも価値のある一冊ではないかと思います。


この昌幸の息子が幸村というわけですが、これは俗称で当時の名前は信繁です。第二次上田城の戦いでは父昌之とともに戦った信繁ですが、信繁が昌幸の兵法を受け継いでいるとするなら、昌幸は信玄の戦い方を実地で学んでいるので信繁は武田の兵法の正当な後継者ということになるでしょうか。その信繁が大坂の陣で家康を大いに苦しめるのですから、家康は三方ヶ原以来最後まで武田に苦しめられたということです。


平山さんは「真田丸」の時代考証を担当されるそうなので、近いうちに真田氏関連の著書が何か上梓されるかもしれません。いずれにせよ、真田氏に関する手堅い入門書として書としてお勧めです。


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

[読書]『ヨーロッパの中世3 辺境のダイナミズム』 [ヨーロッパ史]

岩波書店の「ヨーロッパの中世」シリーズの第3巻です。この巻ではスカンジナヴィア・東ヨーロッパ・スペインなど中世ヨーロッパの中でも「辺境」地域について扱っています。東ヨーロッパやスペインについては割とまとまった概説などもあるのですが、北ヨーロッパについてはあまり日本では扱っている本がないので、一部であっても北欧を扱っているこの本は貴重です。


一番関心があるのは北欧市の部分ですが、ヴァイキングの活動からハンザ同盟、キリスト教の布教とアイスランドの写本文化など、少ないページ数ながらなかなか良くまとまっているのではないかと思います。中世のベルゲンではルーン文字の木簡も発見されており、まだこの地域が多分に異教的な雰囲気を残していることがわかります。ヴァイキングの活動圏としてグリーンランドにも少しですが触れられており、セイウチの牙やホッキョクグマの皮などがノルウェーにとって貴重な資源であったことなども興味深い点です。


北欧の部分で最も心惹かれたのはアイスランドの文化史の部分で、「凍てついた時間」の中でリソースの乏しさからすると驚異的に発展した写本文化の解説があります。アイスランドは多くのサガを生み出し、一つの都市すら存在しない島がある意味文化の中心地ですらあったわけですが、あまり知らないことだったのでこの部分を読めただけでも収穫がありました。


この本を読んで北欧史・アイスランド史について興味が持てたので、このあと「アイスランドの歴史と文化」「北の農民ヴァイキング」「ノルマン人」などの本を読みました。ロシアに向かったヴァイキングについての記述はありませんでしたがこのあたりは「世界歴史大系 ロシア1」で補完しています。


岩波の中世のヨーロッパシリーズはどれも出来が良く、この巻も良かったですがいま気になっているのは「ものと技術の弁証法」の巻です。こちらも余裕があったら取り上げてみたいと思います。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

[読書]久住昌之『食い意地クン』 [その他読書]

孤独のグルメ原作者・久住昌之さんの食べ物エッセイです。久住さんのエッセイはどれも食に関するものですが、読むたびにこの人はいつもこんなにいろいろなことを考えながら食べているのか、と妙に感心してしまいます。


例えばとんかつについての描写が「とんかつと比べたら、同じ肉でもステーキなんてギャングみたいだ。見るからに悪役面をしている。黒い革の手袋をしていそうだ。その下にでっかい金の指輪もしていそう。とんかつは白い手袋の似合ういい人だ」とか、こんなこと考えたこともないですが確かに「わかる」という感じがします。とんかつというのはどこか端正な料理なんですよね。


対して焼肉はこうです。「焼き肉最中及び直後の俺の顔写真など絶対見られたくない、見たくない」これは一人焼肉が恥ずかしいなんて話ではなくて、焼肉はどこか野放図でだらしない、という感覚があるということです。これも確かによくわかる。普段ここまで考えて食べてないですが、久住さんのエッセイは食に対して私達がなんとなく考えていることを上手く言葉にしてくれていて、そこが面白いのです。


一番面白かったのはナポリタンの話で、一週間ほど合宿で半ば断食のような食生活を続けて東京に戻ってきた時、何が食べたい?と仲間に聞いたら「何でもない駅前の喫茶店のスパゲティナポリタン」という言葉が帰ってきたという話です。熊野の山奥から東京に戻ってきて一番最初に食べたナポリタンは、何か聖と俗の対称になっているところが面白いのです。確かにここはうどんでもステーキでもなく、ナポリタンが一番ふさわしい気がします。久住さんは「駄菓子的な美味さ」と言っていますが、修行のようなことをしたあとで食べたいのはこういう、どこか子供っぽい食べ物ではないかと思います。


出てくる食べ物はどれも庶民的なものばかりで、敷居の高さは全くありません。孤独のグルメの原作者は何を考えながら食べているのか、あの世界はどんな感性から生まれるのか?を探るのにも楽しい一冊だと思います。



nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

戦姫絶唱シンフォギアGX2話「世界を壊す-その前に」感想メモ [戦姫絶唱シンフォギアGX]

今回は新たに登場したオートスコアラー・レイアとクリスが戦闘に入りました。
レイアは投げ銭で戦う遠隔攻撃タイプでクリスとは好一対のライバルという感じです。
投げ銭はヘリを落したりクリスのミサイルと互角に戦える力があります。

sy1.jpg
しかも錬金術でシールドを張る能力も持っています。
ファラ同様こちらもかなりの強敵です。

sy4.jpg
一方、ファラと戦っていた翼はマリアに連れ出されました。
翼のデレ顔はなかなか見れないので新鮮です。
sy3.jpg

ファラの武器は「剣殺し」ソードブレイカー。
そしてここでついにノイズが登場しました。
逆羅刹で次々とノイズを片付けていく翼ですが、武士ノイズ(?)に刀を…
sy5.jpg

アルカノイズとはアルケミー(錬金術)で強化されたノイズでしょうか。
sy6.jpg

アルカノイズはクリスのシンフォギアも解体していきます。


翼とクリスの様子を見る限り、キャロルの「オレと戦え。でないとお前の何もかもを打ち砕けないからな」と言う台詞は、響のシンフォギアを壊すという意味なのでしょう。
キャロルやガリィにもシンフォギアを壊す力がありそうです。


響がキャロルと戦いたくないのは、響は基本的に人間とは戦わず出来ることなら仲間にしたい(クリスは実際に仲間に引き入れました)と思っているからだと思いますが、キャロルの台詞で父親関係のトラウマを思い出し精神を揺さぶられていることもあるようです。


クリスと翼はどうなってしまうのか?という危機感もさることながら、アルカノイズとは何か?キャロルの真の目的は?など、より謎の深まった回でもありました。キャロルは一旦撤退したので響はとりあえず難を逃れましたが、精神的ダメージで戦えるかどうか不安が残ります。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:アニメ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。

×

この広告は1年以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。