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真田丸第1回「船出」あらすじや感想など [真田丸]




昨日は体調を崩していたので今日感想を書きます。


まずOPは格調高くて良い感じです。信繁の乗っている馬には面頬?のようなものが付いていますね。ああいうものは本当にあったんでしょうか。時代考証に黒田基樹・平山優・丸島和洋の三氏が出ているのも感慨深いです。そしてシブサワ・コウの文字。


木曽義昌が織田に寝返り、西ががら空きとなって武田が危機に陥るところからドラマはスタートします。コーエーのマップCGが状況を分りやすく説明しています。勝頼は甲府盆地に新府城を建設中で、ここに籠城して戦えばいいという者もいるのですがまだ新府城は完成していないため、昌幸はここでは守れないと考えていました。


昌幸は勝頼に対して、岩櫃城まで撤退してそこで守りを固める策を説きます。これに対して小山田信茂は岩殿城に移ることを説いています。真田は丈だけでは新参者だという話も出ていて、北条毛と手紙のやりとりをしている噂もあると言われていました。(これは事実ですが)


勝頼は夜一人お忍びで信之・信繁兄弟を訪れ、岩殿城へ向かうことにしたと告げに来ました。兄弟は困惑しますが、信繁は「信玄公はもうおられません。やはり岩櫃城へ退却しましょう」と言いますが、結局断られてしまいます。勝頼は真田家の人質をすべて返すことを約束し、その場を去りました。


岩殿城へ向かう途中、勝頼の兵は次々と脱走してその数を減らしていきます。小山田信茂は先に行って準備をすると言い、勝頼は後からゆっくり来るよう進言しますが信茂は部下の小山田重誠に木戸を閉じよと命じます。信茂はすでに織田に付いていたのです。重誠は木戸の上から勝頼に「ここを通すわけには参りません」と涙ながらに叫びます。勝頼はいきり立つ部下を制し、そのまま引き下がります。


一方、昌幸は息子二人と家族を連れて岩櫃城へ戻ろうとします。信之が楽な道中ではないだろうと予告していた通り落ち武者刈りにあってしまいますが、真田主従はどうにかこれを撃退したようです。ここで第1回は終了となりました。


今回何よりも印象に残ったのはまず、武田勝頼の魅力です。部下への思いやりもあり深い悲しみをたたえた勝頼を演じた平岳大さんの演技は、勝頼の印象をすっかり変えてしまったのではないでしょうか。そして真田昌幸のどうにも油断ならない感じも草刈正雄さんが非常に良く演じていたと思います。表向きは勝頼に忠節を尽くしながらも水面下では北条との交渉も開始し、すでに武田が滅びた後のことを考えているしたたかさが十分に描かれていました。


そして「騎馬衆」などの言葉に見られるように、時代考証がかなり正確であるように感じられます。見ていて違和感を感じる部分がほとんどありませんでした。武田が滅びそうになっているのに浅間山の噴火など笑える部分もあり深刻一辺倒にならない良さもあります。


時代考証の丸島さんのツイートからいくつか気になったところをメモ。

https://twitter.com/kazumaru_cf/status/686217337901420545

https://twitter.com/kazumaru_cf/status/686219407589154816

https://twitter.com/kazumaru_cf/status/686220827449139200
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英雄たちの選択「武田信玄から真田丸へ~城の密集地帯 川中島の秘密~」 [戦国時代]



今回は山城や信玄と謙信の戦略についての話でした。
選択は拠点を築くか謙信と和睦するか、という選択でしたが、和睦を選択した人たちは川中島以前に信長が桶狭間の戦いで義元を破ったのは信玄にとって絶好のチャンスだったと説き、ここで和睦して南進すれば天下も取れたのではないかという意見でした。


一方、拠点を築くという意見では(磯田さんもこの立場でしたが)、謙信が和睦に応じてくれるかどうかわからないし、将来今川や織田を攻めるとしてもまずは北の穀倉地帯を抑えてからのほうが有利なのではないかという意見でした。


結局信玄は海津城を築くわけですが、ここで使われた「丸馬出し」は当時最新の技術で、後に真田信繁が建設した真田丸もこの丸馬出しを改良したものだと千田さんは言っていました。


信玄と謙信の人物については、信玄は徹底したリアリストであるのに対し、謙信は戦争アーティストのようなところのある人で、妻女山に陣取ったのも信玄を誘い出して平地での正面決戦をやってみたかったのではないか?というのが磯田さんの見方でした。これは甲陽軍艦の記述を正しいとしたものですが、小和田哲男さんの意見は啄木鳥戦法などが実際に会ったわけではなく、霧の中での遭遇戦だったのではないかという見方でしたが。


4000人近い戦死者は戦国最大とも言われており、最大の技術を尽くして戦った戦いがごく狭い地域に限られるというところが面白いところだという話でしたが、個人的には謙信と争わずに南進していたらどうなったかは気になるところです。最もこれは後知恵になってしまうのですが。


池田光政が家臣を怒るところで甲州武士を例に出すことや、謙信側の記録では謙信の家臣が信玄に切りつけたことになっているなど、初めて知る内容も多い回でした。それにしても国境地帯に住む住民とは大変ですね。いつ戦争に巻き込まれるかわからず、両方の大名から年貢を取られるというのだから過酷です。戦国時代の殆どの戦争が国境をめぐる争いだったので、生きた心地もしなかったかもしれません。


中島さんは信玄が川中島の戦いに関わっていたのは33歳から40代前半くらいで前頭葉が最も活発化する時期に局地戦に終始していたのはもったいないといったことを話していましたが、そもそもこの時期の信玄に天下に打って出るという考えはあったのでしょうか?信長にも全国統一する意思があったかどうかはわからないとすら言われる昨今なので、このあたりも再考する必要があるのかもしれません。
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