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[読書]アルベルト・アンジェラ『古代ローマ帝国 1万5000キロの旅』 [ギリシャ・ローマ]




今までローマ関連の本はいくつか読んできましたが、ローマの社会風俗についてこれほど詳しい本はなかなかないと思います。ローマで使われていたセステルティウス通貨がローマ帝国の各地方を巡るとともに各地の様子を描くという手法で描かれているのですが、地方ごとの特色がしっかりと出ていて面白い内容になっていると思います。


やはりローマよりも地方や辺境の様子が面白いですね。冒頭はロンドン(ロンディニウム)の様子から始まっていますが、やはり辺境だけに住民はケルト人のほうが多く、周囲では原住民が刺青をして祭りをしている様子なども描かれます。ロンディニウムは商売のために一から作られた土地だったのですね。今のテムズ川のような跳ね橋も存在していて、船が通行できるようになっていたそうです。


ローマ人の発明になるものは靴下や生ハム・ビキニ・蝋燭や滑車にビー玉・選挙用ポスターやコンクリートや下水道・拡大鏡など。眼鏡のレンズはネロ帝が剣闘士を見るために用いたといわれています。ローマ人の文明の力には驚かされますね。


ローマは開かれた帝国であったといわれますが、その様子は17章の「アフリカ 人種差別のない帝国」で描かれています。ローマは北アフリカの内陸部にタムガディという都市を建設していますが、この都市は建設後50年で住民がほぼ地元のヌミディア人ばかりとなり、残された落書きからヌミディア人がテルマエに入るのを楽しみにしていたことが分かっています。ローマは都市建設でヌミディア人を見事にローマ化するのに成功したのです。


古代ローマでは人種や肌の色で差別を受けることはありませんでした。ローマは開かれた帝国だったのです。軍人皇帝のセプティミウス・セヴェルスは褐色の肌だったといわれますが、そういう人でも皇帝になれたのです。フィリップス・アラブスはその名のとおりアラブ人でしたし、五賢帝のひとりであるトラヤヌス帝もスペイン人です。各民族の宗教も尊重されていました。ただし、財産と社会階級による厳格な差別は存在しています。


ライン川付近ではゲルマン人との戦いの様子や、スペインでは金採掘の様子が描かれるなど、地方の状況に応じて多彩なローマ帝国の内実が描かれています。創作の参考にもなりそうですし、ローマだけでなく歴史に興味のある人なら満足できる1冊ではないかと思います。

ローマ史の格好の入門書:本村凌二『はじめて読む人のローマ史1200年』 [ギリシャ・ローマ]


ローマ人の物語は本としては面白いのでうが、やはり長すぎますし通読するのは骨が折れます。それにやはり「物語」なので創作も入っています。なにかもっとコンパクトなローマ史の本はないかと思っていましたが、ちょうどいいサイズなのがこの本です。著者の本村さんは専門のローマ史学者なので安心して読めます。


内容としては伝説の時代から王政・共和制を経て帝政にいたりローマ帝国の滅亡までをカバーしていますが、共和制時代にウェイトを置いた内容となっているので「ローマ帝国」に思い入れがある人にはあまり向かないかと思います。本村さんはローマの強さをローマが「共和制軍国主義」だったことに求めていて、名誉を重んじ国防意識の高い市民がたくさん存在していたことがローマを大国にのし上げたと考えています。


流行を反映してかテルマエについても触れられていて、ローマ人はタダ同然でテルマ詠入ることができ、国家が経費の大部分を負担していたためにローマが衰えるとてる前を維持できなくなったようです。水道の老朽化で水の確保が難しくなったこともあり、テルマエ文化は廃れてしまい中世には受け継がれませんでした。


ローマ軍の強さとして、ローマ式ファランクスは3列に並べた重装歩兵が交代しつつ戦っていたことを挙げて長篠の戦いでの信長の鉄砲隊に似ているとも書かれていますが、信長の「三段撃ち」とは三交代制のことではないといわれているのでこの点は少し引っかかりましたが著者は戦国史の研究者ではないのでここはあまり突っ込まないことにしましょう。全体として読みやすく、ローマ史への興味をかきたてるような書き方になっているのでローマ史の入門書としておすすめできる1冊だと思います。

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ややこしい軍人皇帝時代の格好の入門書!井上文則『軍人皇帝のローマ』 [ギリシャ・ローマ]


軍人皇帝時代といえば、短い期間に皇帝が乱立しローマ帝国の乱れた時代、というイメージがあります。実際、235~253年の間に12人もの皇帝が交代し、帝位は非常に不安定でした。どうしてこんなにも不安定なのか、と以前から思っていたのですが、本書をよめば理由がよくわかります。


まず何より、この期間には外敵との戦争が原因で政治が混乱していたのです。この時代、属州の軍団を率いる元老院議員には軍事経験が少なく、これを率いる皇帝の軍隊もまた弱体でした。ローマが軍事的に弱体であったことが内政の危機を招いていたのです。この状況を乗り越えるために重要な改革を行ったのがヴァレリアヌス帝です。


ヴァレリアヌス帝といえば、ササン朝のシャプール1世に捕虜になったというイメージが定着していて、これがローマの危機的状況の象徴のように語られるのですが、実は政治軍事の両面で重要な改革を行っている有能な皇帝でした。ヴァレリアヌスは政治面では帝国を東西に分け、息子のガリエヌスと分担当地を開始します。これはディオクレティアヌスの四分統治(テトラルキア)の先駆けをなすものです。そして軍事面においては中央機動軍を創設し、皇帝直属の軍隊を強化しました。騎兵部隊も大幅に増強され、これによって外的に迅速に対応できるようになります。これもまたコンスタンティヌスの野戦機動軍の先駆的な形態となるものです。


ヴァレリアヌスの息子のガリエヌスが暗殺されると、「イリュリア人」が帝位の多くを占めるようになります。イリュリア人とはドナウ川流域の属州出身の軍人のことですが、この地域は目立った産業がなく貧しいことから剽悍で勇敢な兵士を生むことで知られています。この野蛮だが優秀な軍人を生む土地から多くの皇帝が生まれています。「世界の再建者」と言われるほど優秀な軍人皇帝だったアウレリアヌスや「恒久平和」を目指したと言われるプロブス、そして軍人皇帝時代を終わらせたディオクレティアヌスもまたイリュリア人でした。


興味深いことに、著者はこのイリュリア人を東洋史における武川鎮と比較しています。武川鎮とは北周・隋・唐の建国者を生んだ辺境の軍事基地ですが、貧しく過酷な風土が勇敢で団結力の強い軍団を生んだという点がイリュリア人とよく似ているというのです。このような東洋と西洋の比較という点からも、この時代は興味深いと言えます。


ローマの属州統治やローマ軍団の仕組みについても簡単な説明があり、ローマ帝国のしくみについても本書を読めば概要が分かるなど、なかなかにお得な点もあります。あまり馴染みのないローマ帝国史後半を知るためには重宝する一冊だと思います。ローマ帝国後半の歴史書としては南川高志『新・ローマ帝国衰亡史』とあわせてお勧めです。

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[読書]森谷 公俊「アレクサンドロスの征服と神話」 [ギリシャ・ローマ]

興亡の世界史シリーズは良い巻と良くない巻との出来の差が激しいですが、シリーズ第1巻となるこの巻はかなり良い一冊だと思います。アレクサンドロスに焦点が絞られているために叙述が終始一貫ぶれることなく、楽しんで読める1冊になっていると思います。


本書の特徴として、アレクサンドロスが登場するまでのギリシャ世界についての解説が十分に行き届いている点が挙げられます。ペルシア戦争に勝利したもののギリシャ人同士でペロポネソス戦争が始まり、大国ペルシアの介入を招き輝かしい栄光の過去のものとなっているギリシアの哀れな姿が描かれ、そしてマケドニアの興隆についても十分に説明されています。世界史の教科書などではアレクサンドロスの登場で急に浮上する感じのマケドニアですが、ギリシャの北方にあって長い歴史を持ち、ギリシャ文化を取り入れて次第に開化していく過程も描き出されます。


そしてこのマケドニアに現れた一代の梟雄がアレクサンドロスの父・フィリッポス2世です。フィリッポスは存亡の危機に立つマケドニアを見事に立て直し、一台で峡谷の地位に押し上げます。若い頃テーベに人質となりギリシャの最先端の戦術を学んだフィリッポスはマケドニア式ファランクスを考案して軍事改革を行い、マケドニアをギリシャ一の強国に押し上げます。アレクサンドロスの覇業もフィリッポスの作り上げた基盤の上に成し遂げられたもので、この父の残した軍隊を最大限活用したのがアレクサンドロスだったと言えます。


アレクサンドロスの東征についても十分に解説されていますが、ここについては従来とおりというか、それ程目新しい記述は見当たりません。むしろ興味深いのはアレクサンドロスの後世に残した影響についての記述で、ヘレニズム文化の担い手はローマであると指摘されています。アレクサンドロス帝国の最東端となるアイ・ハヌム遺跡の考察も面白く、この遺跡は地元住民からは浮き上がった存在だったのではないかと森谷さんは指摘しています。


興亡の世界史シリーズはほかにたくさん出版されていますが、一人の人物に焦点を絞っているのはこの本だけです。他のシリーズはもっと広い範囲を扱っていますが、この巻は扱う範囲が限られている分だけ叙述が濃く、突っ込んだ内容になっていると思います。以前「趣味の専門化」で述べたことですが、扱う範囲を限定することで細かい史実がわかり楽しくなるという効果がここでも出ています。


アレクサンドロスは後世に巨大な影響を与えた人なので、その生涯を追うだけでも十分に「興亡の世界史」と言うことができます。アレクサンドロスについて知りたい方にとっては間違いのない1冊でしょう。
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[読書]ローマ人の物語1 ローマは一日にして成らず [ギリシャ・ローマ]

再読。今読み返すとこの巻はギリシャの話も多くて、あとはエトルリアやサムニウム、ケルトなどとの戦いの記録ですね。ローマはカエサルの時代に至るまでケルトとはずっと戦い続けてますが、この間で描かれるケルトのローマ占領は名誉を重んじるローマ人にとっては非常な屈辱で忘がたい出来事となりました。ここでケルトを撃退したカミルスはローマの英雄とされます。

さて、この巻で一番注目しているのはリヴィウスの「愉しき寄り道」です。ローマ史家のリヴィウスは、もしアレクサンドロスがローマに向かって進軍していたらどうなっていたか?を考え、6つの理由を挙げてローマが勝つと判断しました。その6つの理由とは

1.アレクサンドロス軍は優れた指揮官がアレクサンドロス一人しかいないが、同時期のローマには優れた指揮官が11人存在した。

2.ローマ軍の軍規は厳しく、士気の高さは400年続いたローマと十年程度で作り上げたマケドニアでは比較にならない。

3.ローマ人はアレクサンドロスが戦ったペルシアやインド人とは違って質実剛健であり、贅沢に慣れてはいない。

4.アレクサンドロスは個人の才能で勝っているが、ローマは組織力が強い。

5.マケドニア式ファランクスは攻撃も防御も強いが、ローマのレギオンは機動的でより柔軟に対応できる。

6.アレクサンドロスは敵地で戦うが、ローマはローマ連合の植民地や同盟国に囲まれているので有利である。

ということでした。アレクサンドロスがフィリッポスの跡を継いだ時には父の作った莫大な借金を抱えており、これを解消するためにペルシアの富を欲していたというのがアレクサンドロスの東征の一因とも言われており、もともとペルシア遠征計画はフィリッポスの時代から存在していたことなので、アレクサンドロスが西に向かってくることは有り得ません。ローマはマケドニアの脅威については考える必要はなかったのです。なのでこれはあくまでリヴィウスの思考実験なのですが、なかなかに説得力のある考察ではないかと思います。

1.についてはアレクサンドロス意外に優秀な指揮官がいないは言いすぎだと思いますし、2.についてもマケドニアにはアレクサンドロス3世に至るまで300年以上の歴史があります。マケドニア式ファランクスの歴史は確かに新しいのですがギリシア文化の導入はもっと以前から行われていることなのでこれも言いすぎな点はあるでしょう。3.についてはペルシアが軟弱であったかはよく知らないのですが、ペルシア軍にも強力なギリシア人の傭兵部隊が存在したのであり、勝利したのはやはりアレクサンドロスの軍事的才能でしょう。

4.は確かに言えるかもしれません。この時期のローマには天才的な武将はいませんが、ローマは敗軍の将を殺さないという特色があります。これは敗北した時点で十分に屈辱という罰を味わっているという考えからで、雪辱のために必死に闘うからです。名誉を重んじるローマ人の体質は勝利に大きく貢献するでしょう。ギリシャでは敗将は殺されるので『ペロポネソス戦争史』著者のツキジデスは敗北したため逃亡していますが、このようなギリシャ勢力に比べると確かにローマの方が組織としては強いと言えそうです。何よりギリシャ人はポリスごとに対立していてギリシア人だけでまとまることがありません。5と6については大体納得。ハンニバルがローマに攻め込んだ時にも同盟市の離反を期待していましたが、期待に反してローマ側の結束は崩れませんでした。

実際にローマが対決することになるのは、アレクサンドロスではなくアレクサンドロス大王の母の実家であるエピロスの王ピュロスでした。アレクサンドロスの後継者を自認し実際にそれだけの能力を持っていたピュロスとローマの戦いはマケドニア式ファランクスとレギオンのとの戦いでもあり、ある意味ではアレクサンドロスとローマが戦ったらどうなるかのシミュレーションとも言える戦いです。この強敵ピュロスを下したローマは結果としてイタリア半島を統一することになり、シチリアをはさんでカルタゴと対峙することになります。
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[読書]柘植久慶『戦争で読むローマ帝国史』 [ギリシャ・ローマ]

アマゾンの書評欄には卒論みたいで面白くないとか書かれてたんですが、そもそも物語性を求めて読むようなものでもないでしょうこれは。確かに淡々と書かれているけれどローマの戦争の概略を知るには良い本だと思います。内容はローマの建国当時の戦いからヴァンダル族のローマ征服まで。サムニウム戦争やシラクサとの戦い・マケドニア戦争やヌミディア戦争など、マイナーな戦いについてもまんべんなく触れられているのでなかなか便利。ただし一つの戦いについて3~4ページ程度で言及されるので戦いの様子を詳しく知ることはできません。陣形や戦いの詳しい経緯などについては他の本を参照した方がいいと思います。

個人的に一番知りたかったのはマケドニア戦争ですが、フィリッポス5世の指揮したキュノスケファライの戦いでは国家総動員令により集められた少年兵がマケドニア軍の中心で、実戦経験の不足からローマ軍に敗北し25000名中戦死者は8000名にものぼったとのこと。大してローマ側は戦死者1000人以下という圧倒的な勝利。フィリッポス5世の子ペルセウスも一時期はローマに勝利しますが、ピュドナの戦いにて結局ローマに敗北してしまいます。ローマ軍団対マケドニア式ファランクスという胸熱な戦いですが、ローマ軍の追跡中に陣形を崩したマケドニア軍がローマ軍に寸断されて大敗を喫したとwikiには書かれていますね。これはもう少し詳しく知りたいところだな…ローマの将軍はカンネーの敗将の息子であるアエミリアス・パウルス。これはかなり重要な戦いでしょうね。

マケドニア戦役に関しては『ハンニバル戦記』でも書かれているようですが、この本は読んだはずなのにあまり覚えていません。もっと陣形や戦い方について詳しく調べたいところですね。マケドニア王フィリッポス5世はハンニバルと組んでローマと戦おうとしていたわけですが、マケドニアに勝利の目はなかったんでしょうか。ギリシアの勢力はフィリッポス2世とアレクサンドロス3世の時に大勢力となりますが、結局3つのヘレニズム国家に分裂します。ギリシャはいつもギリシャ人同士で争っているのに対し、ローマ側は団結が固くその発展もゆっくりではありますが確実です。歴史とはいつも結果から判断されるのでローマ側が衰退するマケドニアに勝利したように見えてしまいますが、果たして本当にマケドニア側が体制や戦法が古いために敗北したと言えるのか?マケドニアの陣形は後にカラカラ帝が一時復活させているように、かなり強力なものだとローマ人も判断していたようです。主将がペルセウスではなくアレクサンドロスだったなら勝負はわからないでしょう。

この本はあくまでローマの主要な戦いの経緯について書いたものなので、装備や陣形などの当時の戦争の実態についての詳細まではわかりません。そのあたりは『図説 古代ローマの戦い』あたりでわかるのではないかと期待しています。
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[読書]南川高志「新・ローマ帝国衰亡史」 [ギリシャ・ローマ]

ギボンのローマ帝国衰亡史というのは随分長い本で、コモドゥス帝からビザンツの滅亡までやるのだからなかなか全部読みきった人はいないでしょうね。私も最初の方しか読んでません。何しろ衰退の過程よりは興隆史の方が読んでいて楽しいので。大国が衰えていく過程にもそれなりの味がありますけど、それほど積極的に読みたい感じでもないのです。



さて、この「新・ローマ帝国衰亡史」ですが、この気負ったタイトルでつい買ってしまいました。著者は「ローマ五賢帝」の南川高志さんです。新書1冊ですが中身は非常に濃く充実しており、最初の1章「大河と森のローマ帝国」を読むだけでもローマ帝国とはどんな国家だったかがよくわかるようになっています。ローマというと一般的には地中海を連想するのですが、カエサルがガリアを征服して以来この地域はローマにとって非常に重要な地域となっており、人口も多く貴重な人材の供給源となっていたというのです。ゲルマン人の居住地とローマとの間に明確な国境線などはなく、異民族でも軍隊経験など一定の義務を果たせばローマ市民権を取得でき、結果としてローマ人になることができました。ローマの辺境地帯とはそのように外に開かれた地域であって、ローマとゲルマン人とが常に対立していたわけではないのです。



ローマが外の世界に対して常に開かれており、ローマの外側の人間をローマ化して行くのならば、ローマは常に強大な帝国でいられるはずです。ローマ人とは観念的な存在であり特定の民族を指すものではないため、誰もがローマ人となることが可能であり、制服した民族もローマ人として同化してしまうことこにローマの強みがあったのです。こうした開かれた国家であるローマの衰退の原因とはなんだったのでしょうか。著者の南川さんは、コンスタンティヌス帝の「野戦機動軍」の創設にその端緒を見出します。もともとディオクレティアヌス帝は辺境の軍隊を強化し兵力を2倍にしたのですが、この軍隊は維持することができずコンスタンティヌスが辺境の兵力を削減し、新たに自由に移動することが可能な野戦機動軍を設立しました。この機動軍のための徴募やその後続いた帝位争いのための内戦のためフロンティアでの兵士が不足し、その分地元からの兵士の補充がなされました。それまでローマでは徴募した兵士を出身地とは別の地域で勤務させ、地域の有力者と繋がらないよう配慮していましたが、ここで地元の有力者と農民がつながる構造ができたのです。これが基盤となり、やがて人口増加により食料が不足して農民が在地有力者を頼らざるを得なくなったこともあり、後の「民族大移動」につながる集団ができたということです。



そして378年のアドリアノープルの戦いではローマ軍はゴート族に大敗し、ヴァレンス帝は敗死してしまいます。この大敗をきっかけに、ローマではゲルマン人をまとめて野蛮人だと見下す風潮が出てきます。それまでもフランクやゴート、ヴァンダル族出身の人物がローマでは重用されており、蔑視されることなどなかったのですが、ここでローマ人と外部の異民族を区別する見方が出てきたのです。それまで外部の人間をローマ人として取り込んできたのがローマらしい融通無碍さだったと考えるならば、ここにおいてすでにローマらしさは失われてしまっています。著者はこれを「排他的ローマ主義」と名づけます。それだけローマ人のアイデンティティが危機に瀕していたということなのでしょう。史実の流れだけを負うと、本書でもゲルマン人が次々と侵入してきてこれに対処できなかったためにローマは滅びたという流れなのですが、このようになる種はすでにコンスタンティヌス帝の時代に蒔かれていたのです。



在地有力者を把握できなくなったローマ帝国西半に比べ、東ローマでは皇帝が貴族と官僚を把握し強力な独裁を行うことができました。その後紆余曲折を経つつも、どうにか1000年近く帝国を保つことができたのですから、やはり内戦のために帝国西半部を把握できなくなったことがローマ帝国滅亡の主因であるように読めました。となると、ローマが内戦を繰り返さず、東帝と西帝が協力して統治することができていれば良かったのでしょうか?そもそもディオクレティアヌスが帝国を4分割したことが問題だったのか?などなど、まだ疑問の尽きない点がたくさんあります。それがそう簡単に分からないからこそ、ローマ帝国の滅亡の原因が今まで様々に議論されてきたのです。そうした中で、本書はローマ滅亡の原因について、ひとつの明快な視点を提示することに成功しています。あまり語られることのないローマ帝国後半の歴史について簡潔にまとめられていて、かつ新鮮な視点を知ることのできる本書はローマ史ファンなら必読だと思いますし、そうでない方にとっても多くの示唆が得られるでしょう。強くおすすめの1冊です。
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最近気になっているギリシャ・ローマ史関連の本 [ギリシャ・ローマ]

「図説 古代ギリシアの戦い」

「戦略の歴史」のジョン・キーガンが監修している。Amazonレビューを見る限りなかなか楽しいギリシア史の概説ともなっているらしい。目次を見ると「第二次軍事革命(前三六二‐前三三六)(マケドニア王フィリッポスとギリシアの戦争の大刷新 特殊科学としての戦争)アレクサンドロス大王—ヘレニズムの戦争の創造(前三三五‐前一四六)(アジア横断全面戦争 ほか)」とあり、ここが最も知りたいところ。アレクサンドロスには随分と手厳しく「古代のヒトラー」と読んでいるらしい。大王のファンにはおすすめできないか。

市川定春「古代ギリシア人の戦争―会戦事典800BC‐200BC」

ディアドコイ戦争の記述が80ページに渡って続くとのこと。作者はTruth in Fantasyシリーズで武器や防具についての著作も出している。ヒストリエの副読本としても使えそうだ。

エイドリアン・ゴールズワーシー「図説 古代ローマの戦い」

こちらも「図説 古代ギリシアの戦い」と並んで評判の良い本。共和制~帝政末期までのローマ軍の変遷を豊富な図版で解説している本。王政時代の記述はないのだろうか。史料不足でどんな戦い方をしていたのかわからないのかもしれない。

森谷公俊「王妃オリュンピアス」

興亡の世界史シリーズ第1巻『アレクサンドロスの征服と神話』著者である森谷公俊の著作。フィリッポス2世の妻にしてアレクサンドロスの母親であるオリュンピアスの伝記だが、オリュンピアスの生涯をモロッソイ王国の成り立ちからディアドコイ戦争に至るまで描いている。ペルディッカスやアンティパトロス・エウメネスも少し出てくるらしい。

「戦争で読む「ローマ帝国史」 建国から滅亡に至る63の戦い」

著者の本は別に読んだことがあるが、少々味気ない感じはあるもののそれなりにまとまっていた。Amazonレビューを見る限り内容の正しさに少々問題があるようだが、ローマの戦争を総覧するには良さそうだ。ここからより詳しい本に入っていけば良いだろう。

南川高志「ローマ五賢帝 「輝ける世紀」の虚像と実像」

講談社学術文庫。著者の本にはもう一つ「海のかなたのローマ帝国―古代ローマとブリテン島」という大層面白そうな本があるのだが、もう古本でしか手に入らない上アマゾンの中古価格が6000円近くになっている。岩波新書の『新・ローマ帝国衰亡史』は今ひとつ内容が頭に入ってこなかった。当時評判の良くなかったハドリアヌス帝の治世もこの本でわかる。

「ローマとパルティア : 二大帝国の激突三百年史」

軍事史が中心だが数少ないパルティア史の本としても貴重。アマゾンレビューによるとパルティア史の本はポンペイウス・トログスの『地中海世界史 (西洋古典叢書)』と『プルターク英雄伝』やタキトゥスの『年代記 (岩波文庫)』くらいのものらしい。目次を見るとクラッススやアントニウス、コルブロ、トラヤヌスを取り上げておりパルティアがローマ最大のライバルであったことがよくわかる。

「アレクサンドロス大王の父」

フィリッポス2世の伝記。個人的にアレクサンドロスを上回る英雄だと思っているのでその生涯を詳しく知りたい。マケドニア式ファランクスを創設したりギリシアを統一してアレクサンドロスの覇業の基礎を作った男。暗殺されなければペルシアにも攻め込んでいたのだろうし、その場合アレクサンドロスの出番はマケドニアの一部将としてのものにとどまっただろうか。フィリッポスはペルシアを滅ぼしはしてもアレクサンドロス程遠くまで遠征はしていないかもしれない。アレクサンドロスの遠征行は父であるフィリッポスを超えたいという動機から出ている可能性もあるからだ。

ジョン・キーガン「戦略の歴史」

最近文庫化された。ローマ史の本ではないが、文庫版の下巻ではギリシャ~ローマの戦争を扱っている。ジョン・キーガンは「図説 古代ギリシアの戦い」「図説 古代ローマの戦い」を監修している。

[読書]世界史リブレット 人『アレクサンドロス大王 今に生き続ける「偉大なる王」』 [ギリシャ・ローマ]

このシリーズはどれもページ数が少ないが中身は割と濃い。アレクサンドロスの生涯については簡潔な記述にとどまり物語的な楽しさを味わうわけにはいかないが、アレクサンドロスが後世に与えた影響や現在のアレクサンドロス研究の動向についても記述されており、なかなかに読みごたえがある。特に重要視されているのが父であるフィリッポスとの関係性で、アレクサンドロスの飽くなき征服欲は偉大な王であった父を超えたいという動機からではないかと推測されている。フィリッポスの内政・軍事改革についても簡潔ながら触れられており、マケドニアの新兵器であるサリッサ(長槍)やシラクサのガストラフェテス、ロドス攻囲戦で用いられた攻城塔なども図解付きで記されている。

アレクサンドロスの東征の欲求がどこから出たものかははっきりしたことはわからないが、自らの無限の可能性を試したいというポトス(衝動)に突き動かされていたのではないかと言われる。そのポトスの中に父であるフィリッポスの影を見出すのが著者である澤田典子の視点である。アレクサンドロスは父であるフィリッポスの作り上げた軍隊を率いて東征を成功させたのだが、東征の過程でフィリッポスは次第に理想化されていった。東方遠征に不満を持っていたクレイトスはフィリッポスの業績をアレクサンドロスに勝るものとして称揚するが、激昂した大王はクレイトスを刺殺してしまう。アレクサンドロスはフィリッポスに劣ると批判されたことが我慢できなかったのである。ならばその父を超えるため不必要とも思える東征に乗り出していったと考えるのも不自然ではない。

アレクサンドロスの評価は常に揺れ動いており、ヘレニズムから共和政ローマ期においてはフィリッポスはアレクサンドロスと同等か上回るくらいの評価であったという。ペルシア遠征はフィリッポスの時点で既にその構想が出来上がっていたのだが、部下に暗殺されてしまったために実現できなかった。フィリッポスがどの程度までの征服を考えていたかははっきりしないが、恐らくはアレクサンドロスの征服した領域に比べてかなり限定された地域、せいぜい小アジア全土かユーフラテス川以西あたりまでではないかと推測されている。冷徹な政治化であったフィリッポスならばそうしただろうという推測なのだが、ならばアレクサンドロスは不要な戦争ばかり引き起こし将兵を苦しめた人物だという評価にもなるだろうか。実際、アレクサンドロスはインド征服を目の前にしてマケドニア兵の反対にあい撤退を余儀なくされている。征服した領域の広さが必ずしも偉大さの証明にはならない。武田家の最大版図は武田勝頼が実現しているが、それが勝頼が偉大だった証拠とならないのと同じである。

本書で初めて知ることができたのは、アレクサンドロスの「最終計画」としてカルタゴやイベリア半島への遠征計画が存在していたということである。アレクサンドロスの死後にペルディッカスが読み上げたというこの計画は捏造であるという見解もあるが、これが実行されていればその後の歴史も大きく変わっていただろう。カルタゴが滅ぼされていればポエニ戦争も存在しないし、イベリアまで進出すれば地中海世界の覇者はマケドニアとなり、もはやローマも危うい。ローマ史家のリヴィウスは「愉しき寄り道」としてアレクサンドロスが西方に向かいローマと戦っていたらどうなったかと問うたが、あるいはアレクサンドロスがイベリアを制しアルプスを越えてローマに侵入するという道も有り得たか。そんな歴史すら妄想させるほどの影響力を持った存在がアレクサンドロスなのである。
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