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[読書]池上彰『池上彰の政治の学校』 [その他読書]



90年代頃、「出羽守」と呼ばれる人達の本が多数出版されていました。出羽守とはやたらと「欧米では…」と海外を引き合いに出して日本人や日本社会を批判する日本人のことです。そうした本では特に日本の若者が批判されることが多く、「日本の若者はろくに政治に興味も持たず、女性はブランドバッグを買いあさっている」などと言われていたものです。


ブランドバッグというところに時代を感じますが、若者が政治に興味を失っている、というのは今でも言われていることです。20歳から誰でも選挙権を持てる以上、政治に興味がないのは良いこととは言えません。しかし、それは本当に日本の若者がダメだからなのでしょうか?この本を読んでいくと、それは若者自身の問題ではなく、日本の政治システムの問題であることがよくわかります。


池上さんはこの本の中で、政治教育をしにくい学校教育の問題について指摘しています。アメリカの学校では実際の政策を披露して模擬投票を行う授業が行われていますが、日本でどの政治家に投票すればいいか考えさせると、教師がそんなに政治的なことをして良いのかと批判されるだろう、と池上さんは予想します。これは実際にやってみないとわからないところではありますが、右であれ左であれ、少しでも偏った結果が出ると「偏向教育」だと批判される事態は容易に予想できます。


そして、若い世代に訴えかけるような政策が行われないことも大きな問題です。民主党政権は株安や円高を招いたことで批判も多いですが、子ども手当が導入されたために若い夫婦世代を政治に関心を向けさせた功績は大きい、と池上さんは指摘します。経済効果も予想以上に大きく、これが恒久的な制度になっていればかなりのインパクトになったはずだ、とも池上さんは言います。どこにそんな財源があるのかは気になるものの、この政策にも一定の意味があったことは確かなようです。安倍政権にはここまで若い世代を惹きつけるような政策はありません。もっとも改憲や新安保法案はこれに反対するという点で、デモを行ったりする学生も出てきてはいるのですが。


さらに選挙制度にも問題があります。池上さんは「特別授業」の中でアメリカの大統領選挙について解説しますが、この選挙は一年という長期間に渡って行われます。大統領選挙には「予備選挙」があり、これは州ごとに誰を大統領に推すかを決めるものなのですが、池上さんが取材した共和党の党員集会では老若男女が集まって誰を大統領にするか議論が行われていたそうです。大統領選挙を通じて「民主主義の訓練」をしているのですね。このような環境が日本にないことも政治に興味を持てない人が多い原因だと思います。


この本自体が基本的に若い人向けで、「なんとか若い人に政治に興味を持ってもらって、選挙に行って欲しい」という池上さんの強い気持ちが伝わってきます。でも、この本を買う時点でその人は少なからず政治に興味を持っているんですよね。本当ならこういう本を読む気にもならない層こそ政治に興味を持つべきでしょうが、この本に書かれているような日本の政治状況が変わらない限り、現状はしばらく続いてしまうような気もします。
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[読書]山本弘『詩羽のいる街』 [その他読書]

この現代日本で、お金を持たずに生活していくにはどうすればいいか?例えば宗教家のような生活が考えられます。『ムトゥ踊るマハラジャ』には樹の下で生活している聖者が出てきますが、聖者は徳が高いので何一つ持たなくとも信者からの施しで生きていくことができます。武者小路実篤『真理先生』もまた、そうした周囲の人々の好意によって生活を成り立たせている存在でした。


この生き方を現代風に成り立たせているのがこの物語の主人公・詩羽です。詩羽は周囲の人達に親切にすることで食事も寝る場所も服も確保していて、自分では何も持っていません。様々な個性を持つ人を詩羽という個性が結びつけることで詩羽の住む賀来野市の住民が皆幸せになっていくという「詩羽システム」を成立させることで詩羽の生活が成り立っていて、詩羽自身は市民の触媒のような存在として生きています。


こういう人が一人くらいいても面白いかもな、と思うのですが、この生き方を貫くには他人が何を求めているのか見抜く高い能力が必要で、しかも自分自身は物欲も所有欲もない人間でなくてはなりません。実際、この物語では詩羽は非常に頭が良く、会話も巧みで人に喜んでもらえることを生きがいとしているキャラクターとして造形されているのですが、これはいわば現代の「聖者」でしょう。


しかし詩羽には歴史上の聖者とは違う、ある種の生々しさがあります。詩羽は自分の作り上げた親切のシステムに巻き込むために登場人物を「デート」に誘うのですが、ここでは詩羽が若い女性であるという強みを生かしています。詩羽自身も「この仕事をしていると恋愛ができなくなるのが淋しい」と言っていて、人並みの欲求を持っている一面も垣間見ることができます。俗人としての一面も見せることで、詩羽のシステムを胡散臭い新興宗教と区別することに成功しています。


難点があるとすれば、時として登場人物の中に山本さんの主張が強く出てきすぎるところです。作品中である漫画をあれは説教臭い、作者の生の声が出すぎてると批判するところがありますが、この作品にもそういうところがあります。私は山本さんのブログや他の作品などで山本さんの考えをよく知っているので特に違和感は感じませんでしたが、これを最初に読む人はアニメや漫画、表現規制やネットデマについて登場人物がしゃべることに違和感を感じることもあるかもしれません。


そのような瑕疵はありつつも、全体としては楽しく読める物語になっていると思います。作中で多くの本が紹介されていて、巻末にノンフィクションや小説・漫画などジャンル別に参考資料として紹介されているのも嬉しいところ。クラークの小説は中学生でも読める内容だと作中で紹介されていたので、今後読んでみようかと思いました。


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[読書]久住昌之『食い意地クン』 [その他読書]

孤独のグルメ原作者・久住昌之さんの食べ物エッセイです。久住さんのエッセイはどれも食に関するものですが、読むたびにこの人はいつもこんなにいろいろなことを考えながら食べているのか、と妙に感心してしまいます。


例えばとんかつについての描写が「とんかつと比べたら、同じ肉でもステーキなんてギャングみたいだ。見るからに悪役面をしている。黒い革の手袋をしていそうだ。その下にでっかい金の指輪もしていそう。とんかつは白い手袋の似合ういい人だ」とか、こんなこと考えたこともないですが確かに「わかる」という感じがします。とんかつというのはどこか端正な料理なんですよね。


対して焼肉はこうです。「焼き肉最中及び直後の俺の顔写真など絶対見られたくない、見たくない」これは一人焼肉が恥ずかしいなんて話ではなくて、焼肉はどこか野放図でだらしない、という感覚があるということです。これも確かによくわかる。普段ここまで考えて食べてないですが、久住さんのエッセイは食に対して私達がなんとなく考えていることを上手く言葉にしてくれていて、そこが面白いのです。


一番面白かったのはナポリタンの話で、一週間ほど合宿で半ば断食のような食生活を続けて東京に戻ってきた時、何が食べたい?と仲間に聞いたら「何でもない駅前の喫茶店のスパゲティナポリタン」という言葉が帰ってきたという話です。熊野の山奥から東京に戻ってきて一番最初に食べたナポリタンは、何か聖と俗の対称になっているところが面白いのです。確かにここはうどんでもステーキでもなく、ナポリタンが一番ふさわしい気がします。久住さんは「駄菓子的な美味さ」と言っていますが、修行のようなことをしたあとで食べたいのはこういう、どこか子供っぽい食べ物ではないかと思います。


出てくる食べ物はどれも庶民的なものばかりで、敷居の高さは全くありません。孤独のグルメの原作者は何を考えながら食べているのか、あの世界はどんな感性から生まれるのか?を探るのにも楽しい一冊だと思います。



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[読書]ときど「東大卒プロゲーマー」 [その他読書]

東大卒という肩書きを持つプロゲーマー・ときどさんの著書です。プロゲーマーって何?というレベルの人から、ときどさんのプレイを動画でよく見て知っている方まで楽しめる内容になっていると思います。内容としてはときどさんの生い立ちからゲームに夢中になっていた少年時代、そしてプロゲーマーとしての今に至るまでの自叙伝的な内容となっていますが、随所にときどさんのものの見方や考え方がさし挟まれ、これがまた面白い内容なのです。そのときどさんの考え方とは、突き詰めるとこの本のサブタイトルである「論理は結局、情熱にはかなわない」ということに尽きます。



ときどさんは東大に入学していることからもわかる通り、成績優秀で合理的な物の考え方をする、と思われています。実際本書の中でも自分は勝利至上主義者だと書いていて、そのためには躊躇なく最強キャラを選ぶのだと言っています。なのでときどさんはスーパーストリートファイター4では最強キャラの一角である豪鬼を使っていました。しかしそのような合理性は彼の一面に過ぎません。「東大卒」というのは就職戦線においては間違いなく「最強キャラ」のはずです。この肩書きを一番生かせる道は何か、と考えれば、研究者であれ一部上場企業であれ公務員であれ、いろいろな選択肢があるでしょう。しかしときどさんはそうした道を選ばず、あえて先行きが不透明な「プロゲーマー」という道を選ぶのです。合理性から考えると有り得ない選択をときどさんはしたことになります。



それがこの本のサブタイトルである「論理は結局、情熱にはかなわない」という言葉の意味なのです。ときどさんも一度は普通に就職活動をし、公務員を中心に面接を受けていたのですが、全く情熱がないのに東大卒という肩書きのために最終面接まで進めてしまうことがとても不安だったそうです。合理性や効率を重んじるのなら、そのまま公務員として安定した人生を歩む道もあったでしょう。しかし結局、彼はその道を選ぶことができなかったのです。子供の頃からゲームにしか情熱を注げなかったのに、このまま情熱を持てない仕事を一生続けることになってもいいのか…?ときどさんは大いに迷いました。しかしここでときどさんの背中を押してくれる人物がいたのです。それが日本最初のプロゲーマーとしてすでに活躍していたウメハラさんだったのです。



ウメハラさんは、ときどさんに「俺が東大を出ていたら、こんな生き方はしない」と語ったそうです。子供の頃から格ゲー一筋に生きてきて、学歴も職歴もないウメハラさんはプロゲーマーになるべくしてなった人でしょう。一方ときどさんは東大卒の学歴を持っているのだから、それを生かさない手はない、と常識的な話をしたのです。しかし最後に一言、ウメハラさんは「本当に好きなことなら、チャレンジしてみるのも悪くないと思うよ」と付け加えたそうです。この言葉がときどさんの心にずっと残り、その後何人かの人に相談してプロゲーマーの道を肯定されたこともあり、ときどさんはプロゲーマーの道を進むことを決めるのです。



情熱とはどこから生まれるのか?ときどさんは情熱の人は他人から分けてもらうものだ、と言っています。格ゲーの世界には驚く程のほどの猛者がいて華麗なプレイを見るたびに情熱が沸き起こってくる、だからこそ自分はこの世界にいられるのだと。ウメハラさんもまたそういうプレイを見せてくれる人の一人です。プロゲーマーの世界にある情熱は、お互いに伝染し、後の世代に聖火リレーのように続いていくものだ、とときどさんは説いていますが、そうした熱気の中でしか生きられないときどさんもまた、梅原さん同様「プロゲーマーになるしかなかった人」なのではないでしょうか。私たちがスポーツを観戦するのも、そうした情熱の火を分けてもらいたい、という心理がどこかにあるはずです。だからこそ格ゲーの試合もプロスポーツの試合と同様、見ていて興奮も感動もするのです。



後書きでときどさんは「自分の中に情熱の火種がなければ、情熱を持っている人のそばに行くといい。彼等はきっとあなたに火をつけてくれるだろう」と書いています。あるいはこの本も、読者である私達に火をつけるために書かれたものかもしれません。ときどさんの「情熱」を確かに受け取れる1冊だと思います
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