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[読書]梅原大吾『勝ち続ける意志力』 [心理]

この本の感想を書こうと思ってアマゾンのレビュー欄を見ていたら、教育関係者と思われる方から「この本は教育的に見ても面白い一冊だと、個人的には思う」というコメントが付いていました。このコメント自体に嘘はないのでしょうが、これはあくまでウメハラさんが現在プロゲーマーとして活躍できていて、その仕事で食べていくことができているからこその評価ではないでしょうか。今でこそ日本にもプロゲーマーが梅原さんの他にも何人も存在しているのですが、ウメハラさんが腕を磨くためにゲームセンターに通っていた頃にはプロゲーマーなどという職業はなく、いくらゲームが強かったところで大人は評価してくれないのです。教師などというのはむしろゲームセンターに通い詰める少年を好ましくないと思う側の人間のはずです。そういう人でも本が出せればゲーマーの話を聞いてくれるのは良いことなのだろうけど、それはあくまで書籍を出すことができた「権威」だからではないか、ただゲームを頑張っているだけの無名の少年の話に耳を傾けてくれる教師がどれだけいるのか、と思うとなんだか複雑な気持ちになってしまうのでした。


去年、ユーチューバーの「好きなことで、生きていく」というフレーズが話題となりました。もちろんウメハラさんも子供の頃からゲームが好きで、一心に打ち込んできたのですが、いくら格闘ゲームを極めても、その先に何らかの職業につながることはないのです。これがサッカーや音楽や絵なら、狭き門とは言えその先にプロになるというルートは存在しています。しかし、ゲームがいくら強くなったところで、その世界で有名になるというだけのことで、プロとして生きていく道が世界チャンピョンとなった少年ウメハラの前には開けていなかったのです。


それは誰にでもわかっていることなのだから、普通ならゲームは趣味にとどめておいて、生きていく方法は別に確保すればよいと考えるはずです。しかし少年ウメハラは、そんな割り切った生き方のできる性格ではありませんでした。いつもつるんでいた落ちこぼれの友人たちが、突然皆受験勉強を始めたのです。


『「なんだよ、お前ら。もっとふざけろよ、ふざけ続けろよ!」
理不尽な怒りだと分かっていても、溢れる感情を押しとどめることができなかった。
苛立つ僕をよそに、友達は次第に「受験」という共通項を持った別の輪を作るようになった。気がつくと、またひとりになっていた』
ここから少年ウメハラの躍進が始まります。自分には勉強もスポーツもない。どうせゲームしか残っていないのだから、そこで誰よりも頑張って、皆が驚くような結果を残してやると決意し、中学生にして世界一の称号を手に入れるのです。しかしその先の道のりもまた平坦ではありません。プロゲーマーという職業が確立していなかったので、麻雀の修行をしたり、介護施設で働いている時期もありました。そしてスポンサー契約をもらい、プロゲーマーとなって今に至るわけですが、これには幸運も働いていると思います。


この本を読んでいて、ゲームの世界で生きられるようになったウメハラさんの成功については素晴らしいことだと思うのですが、同時にまた、多くの世界には無名のウメハラが存在するのではないか、とも思いました。プロゲーマーの世界が脚光を浴びることでウメハラさんにも光が当たっているのですが、光の当たらない世界にもいくらでも名人が存在するはずです。ウメハラさんは将来ゲームが脚光を浴びるだろうと考えてゲームに打ち込んだのではなく、それしか打ち込める対象がなかったのですが、幸運もあってその努力がプロゲーマーになるという形で報われることになりました。しかしウメハラさん同様に頑張っていても、なかなか陽の目を見ることのない世界もあるはずです。だから世間的に見て成功しているかどうかではなく、内面的な基準を持つことが大事なのでしょうね。『勝負論』でもウメハラさんは「成長することが大事」とくり返し書いていましたが、それはこの本でも同じです。自分の内的基準において成功していれば、たとえゲームの世界が脚光を浴びていなくても、十分に幸せなのではないでしょうか。


ウメハラさんがこうして本を出せたことは素晴らしいと思うのですが、彼の価値がそこにあるのではありません。苦しんだ末に独自の哲学を持ち、その基準に沿って努力を続けていることが素晴らしいのです。ウメハラさん自身、「本当に大切なのは、成功したかどうかではない。そこから偶然の要素を外したあとで残った部分で、成長を感じ続けられるかどうかなのだ」と言っています。しかしウメハラさんのこの言葉を共感を持って受け止めることができるのも、実際に結果を出しているからなんですよね。結果にこだわるな、成功するかどうかは問題ではない、という言葉も成功している人の言葉だからこそ受け入れることができる、という逆説は如何ともしがたいところです。全く無名な人が同じ事を言っていても、「いや、それはそうやって自分を誤魔化してるだけでしょ?」となってしまいますから。外的な成功で自分の価値を決めるところから逃れられるのは、やはりある程度の成功を収めた人でないと難しいのだろうか…?梅原さんが言いたいのはそんなことではないと思いますが、やはり結果への執着を経つのは難しいなあ…と思わされたのでした。

[読書]小池龍之介「"ありのまま"の自分に気づく」 [心理]

この本で扱われているのは主に「承認」の問題です。私たちの悩みの多くは、肉体的苦痛や経済的問題などを除けば「他者に受け入れられない」「受け入れられても、思ったような受け入れられ方ではない」というところに行き着きます。人間は皆承認欲求を持っていて、ありのままの自分ではなかなか肯定されないので、多かれ少なかれ受け入れられるような人間像を演じながら生きています。しかしこれが苦しみの原因となり、自分を解放したいという欲求も生まれてきます。アナ雪の大ヒットはそうした人達の欲求を汲み取っていたからということもあるのでしょう。

多くの人は人から認められたいと願い、そのために努力を重ねます。成功して名声を得たいとか、異性にもてたいとか言うのも結局承認欲求で、他者からの承認の度合いが足りないと多くの人が思っているからこそ悩むのです。しかし、努力を重ねて幸運にも成功し、あるいは愛される人間になったとして、それで十分なのでしょうか。小池さんは「自分そのものを褒めてもらうことはできない」と本書で断言しています。成功している人はお金を持っているから持ち上げられるのであり、もてる人は容姿やコミュニケーション能力が優れているから受け入れられる。どちらにしても条件付きの承認であって、それらの条件が失われてしまえばまた他者からの承認も失われてしまうのです。

では、他者からの承認などいらないと開き直って、ただ好きに生きればいいのでしょうか?事態はそんなに簡単ではありません。小池さんが言うように「自己承認は成り立たない」からです。自分でいくら自分のことを褒めてみても、それはそう思い込もうとしているだけのことであり、根拠としては弱いのです。だからこそ他者からの承認を私たちは求めるのであり、そのために悩むのです。どうしたって結局承認されないと満足できないのなら、私達はどうすればいいのでしょうか。ここで小池さんが出してくる処方箋は「精神自給率50%を目指す」ということです。

小池さんの主張する「精神自給率」を上げるとは、他者からの承認によって自分を支える度合いを下げていく、ということです。社会的に良いと評価される自分になることで自信を持つのではなく、あくまで自分が自分であることで「良し」とする、その割合を50%くらいまでに高めればいいのだ、というのが「精神自給率50%を目指す」ということの意味です。この「精神自給率」が100%の状態になると、これが悟りを開いている状態なのかもしれません。しかし凡人である私たちがそこまで到達することは難しいので、せめて50%くらいを目指そうではないか、ということなのだと思います。

ではその「精神的自給率」を上げるために何をすればいいかというと、小池さんの提唱する方法は「自分の中の様々な気持ちに気づきの光を当てる」というものです。嬉しい気持ちや、孤立して寂しかったり他人を妬むような望ましくない感情に対しても、「ああ、今時分はこういう気持ちなんだな」とその感情に居場所を与える。こうして自分の感情を自分でケアすることで過度に他者に依存しなくてもよくなると小池さんは言います。もっとも、私達は禅僧ではないので常にこういう自己省察ができるわけではないので、そんなときは程よく他人に甘えさせてもらえば良いのだ、とも小池さんは言っています。仏教の知見を実生活に取り入れるためのバランスのとれた主張ではないかと思います。

昨日ウメハラさんの「勝負論」の感想でも書いたことですが、ウメハラさんは自分が成長できているかどうかに重きを置いていて、試合で勝つかどうかを最重要の目標にしていないそうです。これは「成長」という自分の内面的なことを自信の根拠にしているので、ウメハラさんも精神的自給率が高そうですね。やはり優れた結果を出している人のマインドのあり方というのは、どこか似通ってくるのかもしれません。もっともここで「ウメハラさんや小池さんは本が売れているのだからすごい、あんなふうになれるように努力しなければ」と考えすぎると自信の根拠が他者承認に移ってしまい、精神的自給率は下がってしまいます。私たちは放っておくとつい世間的に見て好ましいかどうかで自分の価値を決めてしまうので、この本に書いてあることを時折思い出すべきなのでしょうね。
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[読書]梅原大吾『勝負論 ウメハラの流儀』 [心理]

日本初のプロゲーマー・梅原大吾さんの2冊目の著書です。前著の『勝ち続ける意志力』では半分くらいが自叙伝的な内容になっていましたが、この本ではほぼ全ての内容が「勝ち続ける」ためにはどうすればいいのか、そもそも「勝つ」とはどういうことなのか、という梅原さんの考え方について書かれています。


格ゲーだけではないですが、勝負の世界というのは非情なものです。トッププレイヤーのウメハラさんですら、少しでも試合に負けると「ウメハラはもう終わったな」なんてコメントが書かれたりするのです。常に結果を問われ続ける世界で強いメンタルを保ち続けるには、自分なりの価値観をしっかり持たなくてはいけないのだな、ということをこの本を読んでいると気付かされます。例えば梅原さんは、「勝ち続けるとは、「成長を続けることだ」と定義しています。個々の試合において結果を出すことが一番の目標なのではなく、試合を通じて自分が成長できるかどうかが何より重要だと言うのです。


試合の勝ち負けというのは運もありますし、こちらがどれだけ努力しても常に結果が出るわけでもありません。でも「試合を通じて成長すること」なら、自分でコントロールすることが可能です。自分でコントロールできることにフォーカスするとういのは成功者に共通する考え方ではないかと思います。梅原さんも周囲の評判が全く気にならないわけではないでしょうが、そういうコントロール不可能なことにこだわることにはおそらく価値を置いていないのでしょう。そのことは5章の「勝ち続けるメンタルの構築法」にも書かれています。


「負けたことが理由で極端に落ち込む人は、負けたことによってその人の人生すべてが否定されたと思っているのだろうか。たまたま運が向かなくて報われなかったが、では毎日続けてきた努力は全く無価値になったとでもかんがえているのだろうか。僕なら、今日の試合に勝とうと負けようと、ここに至るまでの自分自身の価値が変わるとは思わない。そして明日は今日より成長する。だから、全く落ち込みはしないのだ」


ここに梅原さんの強さの秘密が集約されているように思います。格ゲーで強くなるにはとにかく試合で経験を積むしかないのですが、そこで負けたことでいちいち落ち込んでいるとモチベーションが下がって経験も詰めなくなり、結局強くなれません。勝負事である以上負けることがあるのは当たり前なので、負けた時にどう考えるかが重要なのですね。試合の結果より成長することに主眼を置いていれば、結果がどうあろうと梅原さんの中では「勝ち」なのです。


この本を読んでいて、こういう「独自ルール」を持つことが出来るかどうかで人生の充実度も随分違ってくるのではないかと思いました。梅原さんのルールは「試合で負けても成長できれば良い」ですが、ここは「とにかく楽しめれば勝ち」とか、「試合に出られただけでも良い」といった独自ルールを持つこともできます。このルールに試合の結果や人気者になることといった、コントロール不可能な要素を入れると不幸になりやすい気がします。逆に「生きてるだけで丸儲け」というルールを持つことが出来れば幸せでしょうね。最もこれはハードルが低いようでいて、実はすごく苦労した末にたどり着く境地のような気がするのですが。



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