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『十字軍大全』第4回十字軍はヴェネツィアが黒幕ではなかった! [ヨーロッパ史]




十字軍全体の流れについて書かれている本で、まずはオーソドックスな内容といっていいと思います。ただ知らなかったことといえば第4回十字軍についての記述です。


一般的には第4回十字軍というのはヴァネツィアの要求によりコンスタンティノープルを占拠したものと考えられているのですが、これは事実ではありません。確かに十字軍側はヴェネツィアに支払う資金が不足していたのですが、ヴェネツィアが十字軍に要求したのはハンガリーの都市ザラの占領だったのです。十字軍側は結局ヴェネツィアの要求に屈し、ザラを占領することになります。


この行為は確かに良港を確保したいヴェネツィアの要求を呑んだものであり、聖地の奪還とイスラムとの戦いという十字軍本来の目的と全く関係ないことなのですが、ヴェネツィアの要求はここまでであり、コンスタンティノープルの占拠まで要求したわけではありません。十字軍がコンスタンティノープルを攻撃するに至ったのは、全く別の事情によります。


この頃ビザンツでは皇帝イサキオス2世がアレクシオス3世に位を奪われるという事件が起こっていました。イサキオスの皇子アレクシオスは、姉が嫁いでいたドイツ王フィリップに身を寄せます。フィリップはアレクシオスをコンスタンティノープルに連れ戻すため十字軍に銀20万マルクを提供すると持ちかけます。十字軍側はこの提案を呑み、コンスタンティノープルへと向かいました。アレクシオス3世は帝都を脱出し、皇子アレクシオスはアレクシオス4世として戴冠することになります。


しかしアレクシオスはビザンツ人からの支持がなかっただけでなく、十字軍への負債を抱えていたため重税を課したりしたためムルツプロスという人物がクーデターを起こし、アレクシオス4世は殺害されてしまいます。ムルツプロスは十字軍と徹底抗戦する構えであったために十字軍と戦争となり、結局コンスタンティノープルは十字軍に制圧されることとなってしまいました。


結局、ヴェネツィアに支払うお金が足りなかったためにドイツ王フィリップの提案に乗ったことがコンスタンティノープルの制圧につながったのであって、これをベネツィアの陰謀と見ることは無理であるということのようです。ただし、ラテン帝国が成立したことでヴェネツィアがピサやジェノヴァを抑え、多大な利益を得ることになったのは事実です。この結果から、ヴェネツィアが第4回十字軍の犯人に仕立て上げられてしまったようです。

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池上俊一『図説 騎士の世界』感想レビュー [ヨーロッパ史]

ふくろうの本は、ページ数が少ない割に内容は詰まっているものが多いように思いますが、これも内容の濃い本でした。


騎士とは何か?というのは簡単な問いではありません。その言葉の指すところが流動的だからです。カロリング朝時代から既に騎兵は存在していますが、彼らはあくまで軍事的なカテゴリーに過ぎず、騎士道のようなものを持っていたわけではありません。10世紀の末頃からようやく騎士と呼ばれる存在が現れてきますが、彼らは自由民ではあっても貴族ではありません。最初の騎士は城主や豪族に臣従しているか家臣であり、兵士であったわけです。彼らの多くは土地を持たないか、わずかな土地しか持っていませんでした。立場としては貴族の下に位置します。


しかし、ヘースティングスの戦いで騎馬が歩兵に対して優位であることが確認されると騎士の活躍の場は広がり、身分が上昇するものも出てきます。貴族は自分の娘は会の身分の者と結婚させることを嫌がらなかったので、騎士が貴族の娘との婚姻を通じて貴族に上昇することもできたのです。もともとは城付騎士だったものが受封したり相続したりして所領を得て、独立した領主となるケースも出てきます。こうして貴族と騎士の概念が接近していきました。


そして1世紀半ばころから騎士生活の出費がかさむようになると騎士とは帰属の上位のものとみなされるようになり、本来騎士と称していた城の兵士たちは騎士とは言われなくなっていきます。この頃には資金不足から騎士になれないものは「楯持ち」として生涯を過ごすようになり、やがてそれすらも叙任を待つ貴族の立場となっていき土地を持たない本来の「騎士」は楯持ちの地位さえ失ってしまうことになりました。かつて自由農民や職人が蓄えたお金で武装し軍事奉仕で騎士になることもできましたが、すでに騎士は下層からの参入を許さない排他的な階級となってしまったのです。13世紀ころにはすでに他の階級のものが騎士になることはできなくなっていました。


よく知られているように、リチャード1世が騎士のモデルと言われることがあります。この時代では既に王侯までもが騎士と称するようになっていたのです。十字軍を通じて、もともとは私闘(フェーデ)を繰り返し司教領土を荒らすこともあった騎士が神の戦士と位置づけられ、崇高な存在へと変わっていったからです。


こうして見ていくと、下層階級からの参入も可能であったという点など、武士と騎士との共通点を見ることもできます。百姓でも戦場で功績を立てて武士になるものも存在しましたし、高坂弾正などもそのような人物だったようです。一番異なるのは弓の扱いでしょう。日本では弓も武士の嗜みの一つですが、騎士の場合は弓は卑怯な武器だと考えられていました。ただしそうは言っても飛び道具は戦場では不可欠で、やがて百年戦争ではクレシーの戦いにおいてフランスの騎士はイングランドの長弓兵に大敗することになります。この戦いは騎士の没落の象徴のようなものです。


この本の特徴として、騎士には欠かせない馬についてもページが割かれているところです。軍馬として人気があったのはアラゴン・カスティリア・ガスコーニュ産の馬で、シャンパーニュやパリ・ルーアンなどの馬の国際市場では君主や領主の密使が良い馬を買いに来たそうです。イタリアではノルマン人がシチリアの征服に成功したため、ベルベル人やアラブ人から種馬を入手できるようになったことも書いてあります。修道院や大司教も馬の飼育場を持っており、どこの国でも馬の飼育に熱心であったことがわかります。


全体として読みやすく良い本だと思いますが、騎士と帰属についての考察はなかなかに本格的で、シャテルニー(城主領)といった専門用語も出てきたりするので中世ヨーロッパを全く知らないと厳しい部分もあるかもしれません。



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ノルウェーの犯罪事情とスコットランドの独立運動 [ヨーロッパ史]

今日は歯医者に寄ったので置いてあった「ジュニアエラ」を読んでいたのですが、なかなか興味深い記事がありました。子供向けといっても決してバカにはできません。こういう雑誌はわかりやすさに徹しているだけに、時事問題のエッセンスが凝縮されています。池上彰さんも週刊こどもニュースでわかりやすくニュースを開設する腕を磨いたのです。


●ノルウェーに存在する「受刑者リゾート」

読んでいて驚いたのは、ノルウェーの驚くべき犯罪者への寛容さです。ノルウェーの刑務所のあるバストイ島では、受刑者は7時間の農作業を義務として課せられていますがそれ以外の時間では乗馬やサイクリング、スポーツジムでの運動を楽しむことができ、映画鑑賞も認められています。しかも年に数回の「休暇」もあり、家族に会うこともできるというのです。


ノルウェーの犯罪といえば銃乱射事件を起こして77人を殺害したブレイビクもノルウェー人です。単独犯としては世界最大の殺害数ですが、このブレイビクですらノルウェーでは禁固21年の刑で、これがノルウェーでは最も重い刑です。日本なら確実に死刑でしょう。


●犯罪者に厳しいアングロサクソン・寛容な北欧社会


こんなに犯罪者に優しくて大丈夫なの…?と思うのですが、これでもノルウェーでは再犯率が高くなったりはしないそうです。対してイギリスやアメリカなどアングロサクソン国家では刑罰が厳しいことで知られています。昨年、スコットランドが独立一歩手前で反対派に敗北してしまいましたが、スコットランドがイギリスから離れたいのは厳しい競争社会であるアングロサクソン社会から離脱し、北欧型の高福祉社会の一員になりたいということが大きな要因になっているようです。


イギリスはヴァイキングの襲撃の対象となった頃から北欧との関係の深い国でもあります。アルフレッド大王はヴァイキングの撃退に力を注ぎ、カヌート王の時代には王がイングランドとスウェーデンとノルウェーの三国を束ねていました。ノルマンディー港ウイリアムがイングランドを征服したことでイングランドは北欧よりフランスとの結び付きが強い国家になりましたが、ウィリアムも元をたどれば北欧人です。


ノルマン=コンクェストから千年を経て、スコットランドが再び北欧に顔を向け始めたのは極めて興味深いことです。スコットランドの独立運動はカタルーニャの独立運動を活発化させる影響もあり、今後も目が離せません。
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[読書]『ヨーロッパの中世3 辺境のダイナミズム』 [ヨーロッパ史]

岩波書店の「ヨーロッパの中世」シリーズの第3巻です。この巻ではスカンジナヴィア・東ヨーロッパ・スペインなど中世ヨーロッパの中でも「辺境」地域について扱っています。東ヨーロッパやスペインについては割とまとまった概説などもあるのですが、北ヨーロッパについてはあまり日本では扱っている本がないので、一部であっても北欧を扱っているこの本は貴重です。


一番関心があるのは北欧市の部分ですが、ヴァイキングの活動からハンザ同盟、キリスト教の布教とアイスランドの写本文化など、少ないページ数ながらなかなか良くまとまっているのではないかと思います。中世のベルゲンではルーン文字の木簡も発見されており、まだこの地域が多分に異教的な雰囲気を残していることがわかります。ヴァイキングの活動圏としてグリーンランドにも少しですが触れられており、セイウチの牙やホッキョクグマの皮などがノルウェーにとって貴重な資源であったことなども興味深い点です。


北欧の部分で最も心惹かれたのはアイスランドの文化史の部分で、「凍てついた時間」の中でリソースの乏しさからすると驚異的に発展した写本文化の解説があります。アイスランドは多くのサガを生み出し、一つの都市すら存在しない島がある意味文化の中心地ですらあったわけですが、あまり知らないことだったのでこの部分を読めただけでも収穫がありました。


この本を読んで北欧史・アイスランド史について興味が持てたので、このあと「アイスランドの歴史と文化」「北の農民ヴァイキング」「ノルマン人」などの本を読みました。ロシアに向かったヴァイキングについての記述はありませんでしたがこのあたりは「世界歴史大系 ロシア1」で補完しています。


岩波の中世のヨーロッパシリーズはどれも出来が良く、この巻も良かったですがいま気になっているのは「ものと技術の弁証法」の巻です。こちらも余裕があったら取り上げてみたいと思います。
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[読書]近藤和彦『イギリス史10講』 [ヨーロッパ史]

岩波新書からは10講シリーズとしてドイツ史、フランス史が発売されていますが、このイギリス史10講で3冊目となります。ドイツ史もフランス史も読みやすい本でしたが、この本では地図や図版を用いてさらに読みやすくなるよう工夫されていて、ページ数も前2冊に比べてやや多めです。文章もおおむね読みやすいですが、イギリス史の知識が全くない人が一から読めるような本ではなく、最低でも高校世界史程度の知識があることが前提ではないかと思います。


10の講義でイギリス師を理解するという内容ですが、構成としては3講までが古代~中世、4講以降が近世~現代と近世以降に重点が置かれています。中世の講義ではケン・フォレットの小説「大聖堂」や映画「ブレイブハート」を引用するなど、読者の興味を引く工夫がなされています。中世までは簡潔ながら分かりやすい講義になっていると思います。


これがどうにもわかりにくくなるのが近世以降です。イギリス史には独特の分かりにくさがあり、それはイギリス史がブリテン島の中だけで完結しているわけではなくスコットランドやアイルランドとの関係、そして近世ではアメリカやカリブ海、インド等との関係性の中で理解しないといけないからなのですが、本書ではその点が十分に説明されているとは言えず、ブリテン島の中の記述が多くて少し消化不良な感じが残ります。一国史の限界かもしれませんが、イギリスの発展にはカリブ海の砂糖などが大いに関わっているのでこの点はもう少し触れても良かったように思います。


ジェームズ1世を「ぜめし帝王」と呼んだ日本との関係についても描写されるなど、興味深いエピソードはいくつも書かれているのですが、エドワード王太子を「ニート」と呼んだり、喪に服すヴィクトリア女王を「引きこもり」と書いたりするのはやや読者におもねった感もあり、イギリス人をこうした呼び方をするのがふさわしいのか疑問に思える部分もありました。全体としては読みやすく良い本だと思いますが、近世~近代のイギリス史はグローバルヒストリーとして書かないとわかりにくいと思うので、「イギリス帝国の歴史」との併読をおすすめします。こちらは世界史の面白さを存分に味わえる良書です。
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