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安史の乱の原因とは何か?『世界史リブレット 人 安禄山 「安史の乱を起こしたソグド人」』 [東洋史]




世界史リブレット人シリーズには人物伝の色が濃いものと、ある人物を鍵としてその時代を考察するものおがありますが、これは後者に属します。楊貴妃や玄宗とのかかわりなどは最小限に抑え、かわりにソグド人のネットワークや突厥や契丹などとのかかわりに力を入れて書かれています。


著者によれば安禄山は「ソグド系突厥」でした。ソグド系突厥とはソグド人特有の交易能力や語学力を買われて突厥に用いられていたソグド人のことで、史書には「胡部」として登場します。突厥はソグド人を重く用いたために可汗の周囲の突厥人が不満に思ったことが突厥第一汗国の崩壊の一因となったともいわれています。


一度は突厥を滅ぼした唐でしたがやがて唐の羈縻政策も破綻を見せ、安禄山の親はは突厥第二可汗国が成立するとともにモンゴリアに帰っていきました。安禄山の母親は突厥のシャーマンであり、これがのちに反乱を起こすときに権威として機能したと考えられます。安禄山はソグド人でありつつ、遊牧民の血も濃厚に持っていたことになります。


そして716年、突厥のカプガン可汗が没しビルゲ可汗が即位すると、カプガン可汗派の突厥人やソグド系突厥は唐に亡命し、その中に安禄山も含まれていました。後に安禄山は軍人として頭角を現し節度使にまで登りつめます。安禄山が根拠としていた幽州は当時は漢人と遊牧民の雑居する地域で、ソグド人のギルド(行)も多数存在していました。安禄山はソグド人のネットワークを活用し、反乱のための資材を蓄えていました。そして幽州に住む契丹や奚と結び、唐に亡命してきた突厥人の集団をも取り込んで精兵を蓄えます。


こうして騎馬遊牧民を中心とする15万の軍をもって安禄山は反乱に踏み切るのですが、これは安禄山が「ソグド系突厥」であったからこそ可能なのでしょう。ソグド人の資金力と騎馬遊牧民の軍事力を兼ね備える存在だったということです。ソグド人は交易の民として知られていますが軍人も多数おり、安禄山自身も騎馬民族化した存在でした。もともとアレクサンドロスがサマルカンドを攻めた時にも相当苦戦したといいますから、もともとソグド人は勇猛だったのかもしれません。玄奘もサマルカンドを通過した際に、ソグドの軍隊は強くたくましいと大唐西域記
に記しています。


こうしてみてくると、安禄山の乱が単に玄宗や楊国忠との関係で描けるようなものではなく、北方の遊牧民の動きが大きく絡んでいることが分かります。ソグドや突厥、奚や契丹はそれぞれ独立を夢見て安禄山にその願いを託したのかもしれません。しかし安禄山軍の弱点はこうした多くの民族の混成体であるところにありました。安禄山のカリスマ的能力がこれらの民族をを束ねる力となっていたため、安禄山が没してしまうとこの軍団は空中分解してしまうからです。


現在、安史の乱は契丹の遼帝国や西夏・セルジューク朝やハザールなどの遊牧民が農耕民を支配する征服王朝の先駆けとして再評価されつつあるようです。安禄山の時点では征服王朝が誕生するにはまだ早すぎたという見方もあり、その視点からみるとアジア史の中でも非常に興味深い出来事であるといえそうです。

秀吉は明を征服できる可能性があった? [東洋史]

豊臣秀吉の朝鮮出兵といえば秀吉晩年の誇大妄想による暴挙、ということになっています(最近はそうでもないようですが)が、物事には様々な見方があるものです。意外なことですが、陳舜臣さんは秀吉は実は合理的な計算をしながら朝鮮出兵を進めていた、という見方をしています。


このエッセイ集の中で、陳さんは「碧蹄館の戦いで勝利したことで、秀吉は明を攻めて天皇を北京に移す構想を考え始めた」と書いています。戦国時代を勝ち抜いた武将である秀吉に合理的な計算がないはずがなく、だからこそ李如松に平壌を奪回されると明の征服をあきらめています。秀吉は決して耄碌して誇大妄想にとりつかれていたわけではありません。


そして陳さんは小西行長が明との和平に動いていた点についても、彼が「ハト派」だったからではなく、行長が境の貿易商人の利害を代弁する存在で、娘婿が対馬の宗義智であることを考えなくてはならないことを指摘します。対馬の宗氏は朝鮮との貿易で収入を得ている一族なので、あまり朝鮮を叩きすぎては困るのです。行長が講和に積極的だったのも当然のことだったのです。貿易で朝鮮に対し有利な立場に立てる程度に勝てればそれで十分だったのです。


そして陳さんは実は日本軍は明軍に勝てる可能性もあった、と大胆な主張も展開しています。ただしそれはこの時点ではなく、魏忠賢が権力を握り、明を疲弊させた20年後であればという話です。明を征服したのは満州族の清ですが、日本は満州よりも人口・戦闘力も上回っていたので、もっと時期が遅ければ日本も明に勝てていたかもしれないということです。


しかし、そもそも明の衰退の一因となったのが秀吉の朝鮮出兵なのです。明は日本軍の撃退のために莫大な出費を強いられました。明は万暦帝の時代に滅亡の原因があると言われますが、そのひとつが朝鮮出兵です。日本国内に目を転じれば、朝鮮に出兵せず国内で兵力を温存できた家康に結局豊臣家は天下を奪われてしまいます。長い目で見れば、秀吉は朝鮮出兵により満州族と家康に天下を渡してしまったことになります。
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